納涼電車の一般車への改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/13 02:35 UTC 版)
「江ノ島電気鉄道200形電車」の記事における「納涼電車の一般車への改造」の解説
太平洋戦争終戦後、買い出し客の急増などによる輸送事情の逼迫に直面した江ノ電は、用途を失って保管中であった納涼電車を一般車へ改造して輸送力改善に供することとした。納涼電車2両の車体は東京横浜製作所(後の東急車輛製造)にて改造が施工されて1949年(昭和24年)に竣功、200形201・202(201は初代)の形式および車番が付与された。 施工内容は前面および側面の開口部に窓枠・窓ガラスを新設し、客用扉を一般的な2枚折扉に交換した程度の軽微な内容に留まり、竣功当初は腰板部の網目処理もそのままとされたが、これは1951年(昭和26年)7月に埋込撤去されている。側面窓枠は7本存在する構体柱の間へ各2枚、計12枚設置され、客用扉と妻面との間にも狭幅の窓を新設、側面窓配置は1 D 2 2 2 2 2 2 D 1(D:客用扉、各数値は側窓の枚数)となった。 主要機器は201(初代)が過去に機器を共用した100形111の廃車発生品を、202が静岡鉄道より購入した中古品をそれぞれ搭載した。台車は201(初代)がブリル76E2、202が日本車輌製造製のA形と称する台車をそれぞれ装着する。
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