江ノ島電気鉄道100形電車
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江ノ島電気鉄道100形電車(えのしまでんきてつどう100がたでんしゃ)は、江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)が1929年から導入した電車である。
注釈
- ^ その後1927年には367万5千人まで増加している
- ^ それまでは藤沢駅 - 片瀬駅および長谷駅 - 鎌倉駅間は12分間隔、片瀬駅 - 長谷駅間は24分間隔の運転であった
- ^ 譲渡契約の締結は5月1日、軌道譲渡許可申請が6月5日、同許可が6月9日、江ノ島電気鉄道による営業開始が7月1日
- ^ 発起後の1922年12月22日に茅ヶ崎 - 辻堂海岸 - 鵠沼および辻堂 - 辻堂海岸間の鉄道の免許を取得しながら関東大震災の影響で起業に至っていなかった東海土地電気が名称を変えて1926年7月10日に江ノ島電気鉄道として設立され、免許取得路線の開業を目論んでいる(1930年失効)ほか、1926年12月10日には片瀬 - 鵠沼間の鉄道の免許を(1930年5月に日本自動車道へ譲渡)、1928年7月3日には片瀬 - 江ノ島島内の懸垂式鉄道の免許を受けている(同年11月2日に江ノ島懸垂電気鉄道へ譲渡)
- ^ リンク先『写真で見る西武ヒストリー(前編) 西武鉄道黎明期(1892〜1969)』P.8に類似形態の西武軌道30号車の写真が掲載
- ^ 改造・譲受認可、昇降口の改造等
- ^ 譲受契約成立日
- ^ 横山車庫前 - 高尾橋、残りの八王子駅前 - 横山車庫前、東八王子駅前 - 横山町は合併と同時に廃止
- ^ 1927年から計23両が導入された王子電気軌道200形は田中車輛、日本車輌製造、川崎車輛の3社で製造されて形態に差異があったため、1942年に東京市電に継承された際にそれぞれ150形・160形・170形の3形式となっている
- ^ 150形のうち7両が1950・52年に、170形のうち2両が1958年に都電3000形に主要機器を転用して廃車となり、車体のみが残存していたもの
- ^ 車体各部寸法は『江ノ電の80年表』 p.92の竣工図(乗降口ステップ付、トロリーポール装備、座席削減時)と『江ノ電300形』 p.79の300形303編成記載のもの使用
- ^ 車体各部寸法は『江ノ電の80年表』 p.92の竣工図(乗降口ステップ付、トロリーポール装備、座席削減時)記載のものを使用
- ^ 車体各部寸法は『江ノ電の80年表』 p.93の116・117号車の竣工図記載のものを使用
- ^ 車体各部寸法は『江ノ電300形』 p.78, 82の300形301編成と200形の記載のものを使用
- ^ 都電170形174号車の車体を使用した200形202号車も2段窓に改造されている
- ^ 1952年4月15日のダイヤ改正よりそれまでの13分間隔から現在と同じ12分間隔の運行となっている
- ^ 1953年1月から1954年4月にかけて工事が行われており、1953年8月1日には日坂駅を鎌倉高校前駅に改称、同20日からは工事に伴い交換設備の撤去された同駅に代わり峰ヶ原信号場が開設されている
- ^ オリジナルのボールドウィン系日車C形を1949年に111号車と交換していたもの
- ^ 同社モハ31号車が装備したものを1947年7月に譲受
- ^ 京王帝都電鉄より譲受した容量500 kWの回転変流器2基を備えた(新)江ノ島変電所が建設され、1956年7月5日より稼働している
- ^ 極楽寺工場の入出庫の保安強化を目的として稲村ヶ崎駅 - 長谷駅間に設置されている
- ^ 501編成の残りの2基の台車は201 (初代)号車が装備し、もともとは115号車のものであったボールドウィン系日車C形、なお、『江ノ電の80年表』では501編成の台車は201 (初代)号車および116号車のものとされている
- ^ 『江ノ電の80年表』では両編成と500形502編成の3編成の修祓式が行われた4月3日を就役日としている
- ^ 502編成の台車の3基のうち、117号車もの以外の台車については『江ノ電の80年表』では115号車のものとされているが、『江ノ電旧型連接車物語』では出自には触れずに単にブリル台車とされ、『私鉄車両シリーズ① 江ノ電』では京浜急行電鉄から譲受したブリル27GE1とされている
- ^ さらに同年12月27日には票券閉塞式が廃止され、単線自動閉塞信号装置の使用が開始されてさらに保安度の向上が図られている
- ^ 600形は東京急行電鉄玉川線デハ87 (2代) - 90 (2代)号車を1970年に譲受したものであるが、玉川線の1,372 mm軌間から江ノ島鎌倉観光線の1,067 mm軌間に改軌するために台車を改造した際に、旧来の主電動機が装荷できなくなったため、110号車および2形電動貨車、東急車輛製造手持ちの主電動機を流用している
- ^ この計画中に軌道の重量化、電車線のシンプルカテナリー化などが実施または計画されている
- ^ 同年6月6日に発生した藤沢駅構内の列車脱線事故を契機に設置されたもの
- ^ 5848StateHighway 12 Suisun City, CA 94585 USA
- ^ この台車が同博物館の職員の目に留まり、また同職員と江ノ島電鉄の社員が知り合いであったことから無償譲渡の話がまとまり、アメリカ海軍厚木基地より軍用機で空輸されたものであり、また、台車や他の雑品小物類(D-1バルブ等)も同梱され同博物館に寄贈されており、これにより同博物館より感謝状が送られ本社鉄道部で保管されている
出典
- ^ a b c 『江ノ電の100年』 p.81
- ^ 『江ノ電の100年』 p.80
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.103
- ^ 『江ノ電の100年』 p.82
- ^ 『江ノ電の100年』 p.100-101
- ^ 『江ノ電の80年表』 p.28
- ^ 『江ノ電の100年』 p.102
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.32
- ^ 『江ノ電の100年』 p.378
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.349
- ^ 『江ノ電300形』 p.35
- ^ 『江ノ電300形』 p.39
- ^ 『東急電車形式集. 1』 p.82
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.36
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.37
- ^ 『今よみがえるトロリーポール時代の江ノ電』 p.6
- ^ a b 『江ノ電300形』 p.78
- ^ a b c 『江ノ電300形』 p.32
- ^ a b c 『東急電車形式集. 1』 p.21
- ^ 『江ノ電写真集』 p.32
- ^ 『江ノ電百年物語』 p.85
- ^ a b 『今よみがえるトロリーポール時代の江ノ電』 p.3
- ^ 『江ノ電の100年』 p.129
- ^ 『江ノ電300形』 p.27
- ^ a b c d 『江ノ電百年物語』 p.86
- ^ a b c 『江ノ電300形』 p.41
- ^ 『江ノ電の80年表』 p.40
- ^ 『江ノ電写真集』 p.147
- ^ 『江ノ電写真集』 p.8
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.169
- ^ 『江ノ電の100年』 p.170
- ^ 『江ノ電の100年』 p.141
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.386
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.48
- ^ a b c d 『江ノ電の80年表』 p.52
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.171
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.172
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.53
- ^ 『江ノ電300形』 p.34
- ^ 『江ノ電の80年表』 p.55
- ^ 『江ノ電旧型連接車物語』 p.26
- ^ 『江ノ電の100年』 p.184-185
- ^ 『江ノ電の80年表』 p.75
- ^ 『江ノ電の100年』 p.231
- ^ a b 『江ノ電の100年』 p.232
- ^ 「関東地方のローカル私鉄 現況12 江ノ島電鉄」『鉄道ピクトリアル 第33巻6号臨時増刊』 p.149
- ^ a b 『江ノ電の80年表』 p.78
- ^ 『江ノ電の100年』 p.396
- ^ 『湘南スタイル的100の鎌倉』枻出版社、2007年1月、p.59頁。ISBN 978-4777906772。
- ^ 『私鉄車両シリーズ① 江ノ電』 p.47
- ^ 湘南倶楽部編『江ノ電 懐かしの電車名鑑』JTB、2003年31-32頁
- ^ 『江ノ電百年物語』 p.84
- ^ 江ノ電に泊まろう、ターキーズハウス
- 1 江ノ島電気鉄道100形電車とは
- 2 江ノ島電気鉄道100形電車の概要
- 3 遍歴
- 4 保存車
- 5 脚注
- 6 関連項目
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