鎌倉山開発と自動車専用道路建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:54 UTC 版)
「京浜急行線」の記事における「鎌倉山開発と自動車専用道路建設」の解説
江ノ島電気鉄道の経営に関わっていた菅原通済は、大船-片瀬間の鉄道計画の沿線にあたる深沢村の山林を高級別荘地として分譲することを計画し、当地を「鎌倉山」と命名した。従来交通の不便な当地を分譲するためには公共交通機関の整備が不可欠であり、菅原は江ノ島電気鉄道の新規鉄道計画と並行して乗合自動車の開通を計画した。このため、菅原は江ノ島電気鉄道の出資で日本自動車道を設立し、鉄道計画のために江ノ島電気鉄道が取得していた用地を一部転用して自動車専用道路を建設し、東海道線のダイヤと連携した乗合自動車を走らせ、江の島への観光経路として確立させるとともに、鎌倉山別荘地への主要交通機関とした。 1926年(大正15年)11月15日:事業免許取得 1929年(昭和4年):鎌倉山別荘地分譲開始 1930年(昭和5年):日本自動車道が日本最初の自動車専用道路として大船-片瀬間を開通させる 1930年(昭和5年)7月25日:大船駅-江ノ島口、大仏前-鎌倉山間乗合自動車開業 1931年(昭和6年):小袋谷跨線橋完成(1930年とする説もある) 1931年(昭和6年)7月4日:登記上の供用開始日 1933年(昭和8年):新大船-江ノ島間の鉄道敷設権を江ノ島電気鉄道より譲受 1934年(昭和9年):新大船-江ノ島間の鉄道起業を廃止(免許失効) 1938年(昭和13年):京浜電鉄の傘下に入る 1941年(昭和16年)5月1日:湘南半島自動車に合併 1941年(昭和16年)11月1日:湘南半島自動車、京浜電鉄に合併 1942年(昭和17年)5月1日:京浜電鉄、東京横浜電鉄に合併、東京急行電鉄となる 開通時期と跨線橋完成時期、登記上の供用開始日に誤差があるものの概ね1930年には専用道路として開通していたものと考えられる。なお、当初は密接な関わりのあった江ノ島電気鉄道とは、1933年までに資本関係を解消しており、また、1938年に京浜電鉄の傘下に入り、その後合併したことから、当道路とこれに付帯する路線バス事業は京浜電鉄の後身である京浜急行電鉄へと受け継がれていくことになる。
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