鎌倉将軍とは? わかりやすく解説

鎌倉将軍一覧

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 14:08 UTC 版)

鎌倉将軍一覧(かまくらしょうぐんいちらん)では、鎌倉幕府征夷大将軍の一覧を示す。

概要

一般的には、征夷大将軍の地位は鎌倉殿(鎌倉幕府の長)の地位を公的に担保するもの、と考えられている。

だが征夷大将軍はもとは源頼朝鎮守府将軍である奥州藤原氏を凌駕する官職として望んだもので、鎌倉殿の本質的属性ではなかった。実際、2代目鎌倉殿となった源頼家が征夷大将軍職に就いたのは家督相続から3年後であり、源実朝の死後に鎌倉殿となった藤原頼経も征夷大将軍職に就いたのは鎌倉下向から7年後であって(鎌倉幕府公式記録「吾妻鏡」では実朝死去後から北条政子が6年間鎌倉殿だったとしている)、その間は征夷大将軍職が空席であったが、「鎌倉殿」であることは変わらず、特に問題とされなかった。

源実朝が暗殺されたあと頼朝の子孫(源氏将軍)が絶え、京都朝廷に対抗し、有力御家人たちを抑えられるだけの高貴な血統の出身者が必要とされたことから、初めは摂関家の子弟を将軍職に就けたが(摂家将軍)、北条氏に離反した。このため、北条氏は摂家将軍を廃して皇族宮将軍・親王将軍)を京都から迎え将軍職に就けた。その結果、実権が北条氏に握られることとなり、将軍は名目的存在となったが、形の上では将軍はあくまでも幕府の長であり、全ての御家人の主君であることから、御家人たちに対して一定の求心力を持ち続けた。これを警戒した北条氏は、幼少の将軍を迎えては成人すると解任して京都に送還するということを幕末まで繰り返した。

北条氏が幕府内では将軍を遥かに凌駕する権力を握り、また朝廷に対して将軍職任命を容易に強要できるだけの実力を持ちながら自らは将軍にならなかったのは、北条氏を支持する御家人たちが北条氏の将軍職就任を推したが、朝廷が拒絶した、とする説が存在する。また、北条氏の出自が伊豆の地方豪族でしかなかったことから、仮に将軍職に就いても有力御家人たちの心服を得ることができないため、将軍職就任を断念せざるを得なかった、とする説も存在する。

一覧

  • 氏名、院号、墓所は50音順ソート
  • 官位は位の高い順にソート
氏名 肖像 院号 官位 在職 期間 出身家 享年 墓所
1 みなもとのよりとも
源頼朝
無しまたは不明/武皇 1-02-00/正二位
05/権大納言
1192-/

建久3年7月12日 (1192年)
- 建久10年1月13日 (1199年)

06年 6か月 河内源氏 53 おおくらほつけとう/大倉法華堂
白旗神社
2 みなもとのよりいえ
源頼家
ほつけいん/法華院 1-02-00/正二位
06/左衛門督
1202-/

建仁2年7月22日 (1202年)
- 建仁3年9月7日 (1203年)

01年 2か月 河内源氏 23 しゆせんし/修禅寺
3 みなもとのさねとも
源実朝
たいしし/大慈寺 1-02-00/正二位
03/右大臣
1203-/

建仁3年9月7日 (1203年)
- 建保7年1月27日 (1219年)

15年 4か月 河内源氏 28 しゆふくし/寿福寺
白旗神社
4 ふじわらのよりつね
藤原頼経
無しまたは不明/- 1-02-00/正二位
05/権大納言
1226-/

嘉禄2年1月27日 (1226年)
- 寛元2年4月28日 (1244年)

18年 03か月 藤原氏
(九条家)
39 無しまたは不明/-
5 ふじわらのよりつぐ
藤原頼嗣
無しまたは不明/- 1-03-10/従三位
左近衛中将
1244-/

寛元2年4月28日 (1244年)- 建長4年2月20日 (1252年)

07年 10か月 藤原氏
(九条家)
18 無しまたは不明/-
6 むねたかしんのう
宗尊親王
無しまたは不明/- 0-01/一品
中務卿
1252-/

建長4年4月1日 (1252年)
- 文永3年7月20日 (1266年)

14年 3か月 皇族 33 無しまたは不明/-
7 これやすしんのう
惟康親王
無しまたは不明/- 0-02/正二位
中納言右近衛大将
二品
1266-/

文永3年7月24日 (1266年)
- 正応2年9月14日 (1289年)

23年 2か月 皇族 63 無しまたは不明/-
8 ひさあきらしんのう
久明親王
無しまたは不明/- 0-01/一品
式部卿
1289-/

正応2年10月9日 (1289年)
- 徳治3年8月4日 (1308年)

18年 10か月 皇族 53 無しまたは不明/-
9 もりくにしんのう
守邦親王
無しまたは不明/- 0-02/二品 1308-/

延慶元年8月10日 (1308年)
- 元弘3年5月22日 (1333年)

24年 9か月 皇族 33 無しまたは不明/-

系図

源義朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1 頼朝
 
北条政子
 
 
 
坊門姫
(一条能保室)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2 頼家
 
3 実朝
 

(九条良経室)
 
全子
(西園寺公経室)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
九条道家
 
掄子
 
 
 
 
西園寺実氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竹御所
 
4 頼経
 
 
 
仁子
(近衛兼経室)
 
後嵯峨天皇
 
 
姞子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5 頼嗣
 
 
 
宰子
 
6 宗尊親王 後深草天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7 惟康親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8 久明親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9 守邦親王

関連項目


鎌倉将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:35 UTC 版)

鎌倉時代の人物一覧」の記事における「鎌倉将軍」の解説

源頼朝……鎌倉幕府初代将軍源頼家……鎌倉幕府第2代将軍源実朝……鎌倉幕府第3代将軍。 藤原頼経……鎌倉幕府4代将軍藤原頼嗣……鎌倉幕府5代将軍宗尊親王……鎌倉幕府6代将軍惟康親王……鎌倉幕府第7代将軍久明親王……鎌倉幕府第8代将軍守邦親王……鎌倉幕府第9代将軍

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