前身・鎌倉将軍府とは? わかりやすく解説

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前身・鎌倉将軍府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:49 UTC 版)

鎌倉府」の記事における「前身・鎌倉将軍府」の解説

元弘3年1333年12月足利尊氏の弟・直義相模守に補任され、成良親王奉じて鎌倉下向鎌倉府前身となる鎌倉将軍府成立したその背景としては、当時鎌倉尊氏の子義詮中心とする足利勢の占領下にあったが、公式には認められておらず、新田義貞巻き返しもあったため、鎌倉幕府滅亡後関東不安定な状態だったことがある鎌倉将軍府設置により、尊氏鎌倉占領合法化成功する後醍醐天皇中央集権志向していたため、このように強大な権限を持つ広域地方行政機関には消極的だった。しかし、関東勢いを増す尊氏牽制するために、北畠顕家対し義良親王奉じて広域地方行政機関陸奥国府を奥羽現在の東北地方)に設けることを認めると、尊氏はこれを逆手にとって、関東にも鎌倉将軍府設置認めさせたとされ、通説となっている。 これとは逆に後醍醐天皇鎌倉将軍府積極的だったという意見もある。元弘3年1333年8月尊氏武蔵守補任しているが、その背景には、北畠顕家陸奥下向と同様、尊氏関東下向させる意向があったと考えられる。さらに関東では武蔵国の他にも、多く国司守護地位足利一門与えられていることから、この時期には尊氏信頼しており、後醍醐天皇関東安定化のために、尊氏自身による鎌倉将軍府積極的に構想していたとも考えられている。

※この「前身・鎌倉将軍府」の解説は、「鎌倉府」の解説の一部です。
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