前身番組
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明石・洋二の"ん!?" (1990年4月 - 1991年9月、月曜 - 金曜 17:55 - 18:00) 本番組が開始されるまで、18時の全国ニュース直前に放送されていた。明石・木村アナが交代で街角へ繰り出し、街行く市民に何気ない日常をインタビューする番組(録画)。CMを挟んで最後にそのインタビューした人にまつわるクイズを出題するという構成で、初期のどさんこワイドで明石と木村が隔週交代でスタジオ進行・街角中継を担当したり、同じく18時の全国ニュース直前に存在したコーナー「明石・洋二の"ん!?"クイズ」は本番組の名残りである。2分30秒のインタビュー+CM(全道向け+各地域別 各1分)+クイズ出題30秒で、18時の全国ニュースに直結するこの構成は、視聴者に定着するに連れて徐々に視聴率が上向き、本番組開始にあたっての『視聴習慣の固定』に貢献した部分は大きい。なお、このコーナーでは「"ん!?"音頭」というオリジナルテーマ曲が流れていた。また、『どさんこワイド朝』の「朝刊ですよ!」では、ニュース解説する際、「明石の"ん"!?」というミニコーナーが設けられることもあり、内容は異なるものの、これも本番組の名残りである。 明石・洋二のS宣伝 (1990年10月 - 1991年3月、月曜 - 金曜 15:55 - 16:00) STVニュースTodayプラス1 (1988年4月 - 1991年9月、月曜 - 金曜 18:30 - 19:00) 2時のワイドショー→この2時とまれ 青春奥さん→2時です!奥さん→ちょっと、和久井の2時ですよ スポンサーセールス上(16時台)の前番組。ただし、「2時のワイドショー」は読売テレビ制作で一部日本テレビ系列にて放送されていた同名の番組とは別のローカル番組。和久井がニュース担当時に放送されていたコーナーである「ちょっと!!和久井のどうなの?」は「ちょっと、和久井の2時ですよ」から取って付けられたものである。 3時のあなた 1972年までSTVでネットされていたフジテレビ系列のワイドショー番組で、スポンサーセールス上の名残が一部見られる。
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前身番組
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「かっぺいのいったりきたり」の記事における「前身番組」の解説
1991年10月から1998年9月までは『なぜ?魅知国』(なぜ?みちのく)として放送。1998年の『なぜ?魅知国』最終回で伊奈はバンジージャンプを披露した。その際「番組も降ります」と述べた。 1999年4月から『いろはのい・かっぺいのか』として、半年ぶりに放送再開。 2002年4月に『かっぺいの旅びたし』に番組名を変更。2003年に伊奈が入院した際、当初の数週間は総集編を放送し、その後はネット局(tvkを除く)のアナウンサーが代理で東北各地を取材する模様が放送された。退院後は現在[いつ?]の体制でしばらく放送したあとに、2004年5月に現在[いつ?]の番組名へリニューアルされた。
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前身番組
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「竹内靖夫の電リク・ハローパーティー」の記事における「前身番組」の解説
この時間枠の竹内靖夫アナがメインパーソナリティの電リク番組 「電リクときめき倶楽部 FOREVER YOUNG」(1994年 - 1996年オフ) 「電リクときめき倶楽部 2001年音楽の旅」(1997年 - 1999年オフ) 「アーバンスクエア電リク21」(2000年オフ) 電リク番組ではないが 「竹内靖夫のイブニング・ギフト」(2003年・2004年オフ) 2001年・2002年オフは「ミュージックギフト〜音楽・地球号」のみ同時間枠で放送していた。 この時のナイターオフ19時・20時台は2001年・2002年はセイ!ヤング21、2003年・2004年は斉藤一美アナウンサーパーソナリティの生ワイド番組がそれぞれ放送されていた。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:39 UTC 版)
毎日放送では、1982年・1983年の大会期間中に、『JNNスポーツデスク』(TBS制作・全国ネットのスポーツニュース)の終了後に30分程度のハイライト番組として『センバツ・ダイジェスト』を当時の本社(毎日放送千里丘放送センター)内のスタジオから放送。毎日放送のスポーツアナウンサーがキャスターを務めた。この番組では、同じ時期に放送を開始した全国高等学校ラグビーフットボール大会のハイライト番組と同じく、中継のダイジェスト映像を中心に構成していた。 1984年から1999年までは『球春!センバツ甲子園』、2000年から2002年までは『センバツバーニングスタジアム』というタイトルでダイジェスト番組を継続。一時は、1時間にわたって放送していた。 『球春!センバツ甲子園』では、主に関西地方の高校へ在学する女子学生が、「セブンティーンリポーター」(少なくとも1997年以降の表記は「17リポーター」)という肩書で選手や応援席(近畿勢の学校中心)の模様を紹介する企画を放送。また、前枠で放送していたスポーツニュースのエンディング映像に、「この後は『球春!センバツ甲子園』をご覧ください」という字幕を入れていた。キャスターは子守康範(1988年)・結城哲郎(1989年)・大沼啓延(1991年)・大八木友之(1999年、大沼以外は当時の毎日放送アナウンサー)で、試合のダイジェストに毎日放送でのテレビ中継からの録画映像を使用していたため、ダイジェスト映像の冒頭には当該中継での実況アナウンサー・解説者の氏名を字幕で表示。また、「セブンティーンリポーター」の卒業記念特集を兼ねて、決勝や大会を振り返る回も放送されていた。 ちなみに、藤原紀香(女優)は親和女子高等学校在学中の1989年、谷口真由美(法学者で元・日本ラグビーフットボール協会理事)は大阪府立清水谷高等学校在学中の1992年、宇都宮まき(タレント・吉本新喜劇座員)は大阪府立東住吉高等学校在学中の1998年に「セブンティーンリポーター」を担当。『ゲームセンターCX』(フジテレビONE)のプロデュースやナレーションで知られる菅剛史(ガスコイン・カンパニー代表取締役社長)は、「おふぃすまどか」(毎日放送と同じく大阪市内に本社のある番組制作会社)のディレクター時代に、「セブンティーンリポーターによる甲子園球場内でのグルメリポート」という特集企画の立案と制作へ携わっていた。 『センバツバーニングスタジアム』では、セブンティーンリポーター制度を廃止する一方で、芸能人をMC(メインパーソナリティ)に起用。2000年には、加藤いづみがメインパーソナリティを担当した。JNN系列全国ネットのスポーツニュースでは、この時期から、高校野球(主に決勝戦)の結果を簡潔に伝えるだけにとどまっている。
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前身番組
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「文化放送プレミアム放送枠」の記事における「前身番組」の解説
この「文化放送プレミアム放送枠」以前にも週1回単発特番を制作・放送していた。1980年代は「フリーステーション」というタイトルで放送されていた。さらにそれ以前では「ラジオ特集」というタイトルで放送されていた。また、四谷から浜松町へ局舎を移転した直後の1 - 2年間は「文化放送スペシャル」あるいは「文化放送10月スペシャル」などのタイトルで放送されていたが、その頃の放送時間は半年ごとに曜日・時間の変更が多かった。2000年代は「ザ・ステージ」というタイトルで放送されていた。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 10:08 UTC 版)
「中山秀征のJAPAN RHYTHM」の記事における「前身番組」の解説
1999年4月にTOKYO FMで「中山秀征のオス・メス・キッス」としてスタート。タイトルの由来は同じ事務所の松本明子のデビュー曲から。放送時間はTOKYO FMでは毎週土曜日9:30で、「中山秀征のBeautiful Japan」まで続いた。 1999年7月には総理府がスポンサーに付き、「中山秀征の愛してJAPAN」にタイトルを変更した。当初はTOKYO FMと一部ネット局では生放送だったが、後に完全収録に変更されている。 2007年4月には「中山秀征のBeautiful Japan」にタイトル変更。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 03:14 UTC 版)
そもそもの前身となる番組はフジテレビ721で放送されていた『週刊少年「」』で、テーマをマンガからゲームにマイナーチェンジし本番組が生まれた。第1シーズンがインタビューコーナーを主眼に据えた構成になっているのは、『週刊少年「」』が漫画家へのインタビュー番組だったことに由来する。テーマをゲームとしたのは、「マンガ以上に広い層に受けるから」とのこと(以上、番組本第2弾巻末より)。なお、主要な制作・技術スタッフもほぼ同じ構成のままである。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 23:41 UTC 版)
前番組は同じくウェルネットがスポンサーの「BUSTALGIA presented by WELLNET」。同じく「バスもり!」のプロモーションを目的とし、バスで全国を回り各地の有名スポットや隠れ名所を旅するものであった。こちらもミニドラマと音楽の二本立てで一年間放送された。現番組は、ウェルネットのバス番組シリーズ二代目にあたる。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:05 UTC 版)
この15分間×平日5日間を基本単位とするフォーマットは前身番組の『アドベンチャーロード』(1985年4月1日から1990年3月23日まで)『サウンド夢工房』(1990年4月2日から1992年3月27日まで) から変わっていない。系譜としては更に、ラジオ第一で放送されていた『連続ラジオ小説』(1978年11月20日から1984年3月16日まで) と『ラジオSFコーナー』(1979年4月2日から1983年9月28日まで)、10分間番組であった『FMアドベンチャー』(1984年4月2日から1985年3月29日まで) まで遡ることができ、その歴史は35年以上に及んでいる。 誤解・混同されやすいが、女性向けのラジオドラマ『ふたりの部屋』(1978年11月20日から1985年3月29日まで) およびその後継番組『カフェテラスのふたり』(1985年4月1日から1988年3月18日まで) は、本稿番組の時間帯 (『カフェテラスのふたり』は22:50からの10分間) において、『FMアドベンチャー』および『アドベンチャーロード』 (共に21時台の放送) とは全く別個に制作されていた番組である。つまり1980年代中盤、平日夜のNHK-FMは2本立てでオーディオドラマが放送されていた。 なお、前身番組で制作され青春アドベンチャーで再放送された作品もある。
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前身番組
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「宮川賢のまつぼっくり王国」の記事における「前身番組」の解説
宮川賢のまつぼっくり王国 (2005年10月9日 - 2006年3月26日、日曜 17:25 - 19:30) 仙台市からの生放送だった。コンセプトは『まつぼっくり小国』・現在の『王国』とほぼ同じであるが、自動車販売会社が提供の車に関するコーナーや、日曜の夜に働いている人に生電話するコーナーもあった。番組ホームページ(リンク切れ)もあった。「侍女」と呼ばれるアシスタントもいた。一番長く勤めた人物が、当時東北放送のアナウンサーだった大徳絵里。担当ディレクターは佐藤健一。『小国』を経て、現在はこのタイトルへ回帰する形となった。 宮川賢のニュース穿ち節 (2006年4月3日 - 9月25日、月曜 18:30 - 19:00) 内容は宮川が以前からTBSラジオで放送していた『夜な夜なニュースいぢり X-Radio バツラジ』に近くなった。録音になり侍女もいなくなった。番組ホームページもなくなった(『まつぼっくり小国』にも無い)。 なお、東北放送は2008年3月31日より最終回までの半年間『バツラジ』をネットした。 宮川賢のまつぼっくり小国 (2006年10月8日 - 2009年3月29日、日曜 18:00 - 18:30〔4月 - 9月〕、17:30 - 18:00〔10月 - 3月〕) 内容は上記のとおり。当初は宮城県域放送だったが、2008年4月より東北6県ネットとなった。 東北放送では『TBCパワフルベースボール』の放送に伴い、『ミュージックギフト〜音楽・地球号』の放送時間が半年毎に変動する影響で、当番組も放送時間が変動していた。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 02:36 UTC 版)
1961年4月16日に『県政の窓』(けんせいのまど)というタイトルでスタート。1995年頃に青森県のキャッチフレーズが「活彩あおもり」になった(後述)のをきっかけにタイトルを変更した。放送回数は2000回を超える。(ただし、不定期で再放送が行われることもあり、この場合でも放送回数を1回としてカウントしている。) テーマ曲はその後もしばらく『県政の窓』時代のものがそのまま使用されていたが、2012年までは青森県の歌として新しく作られた「青い森のメッセージ」が使われていた。放送時間移行後はテーマ曲が一新されている。
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前身番組
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「10min.ボックス」の記事における「前身番組」の解説
「10min.シリーズ」は月〜木曜の10分番組。「ボックスシリーズ」は月〜金曜の5分番組。 年度10min.シリーズボックスシリーズ1992 ワールドウォッチング サイエンスボックス 1993 数学ボックス 1994 10min.コンピューター 1995 古典ボックス 1996 10min.楽々パソコン 10min.地球ウォッチ
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:15 UTC 版)
この番組の前身は、TNCで長らく放送されていたミニ番組『とべとべトピックス』である。当時は野球とは全く関係なく、リポーターがエリア内の幼稚園や保育園へ出向き、子供たちの元気な姿を届ける番組だったが、ホークスが福岡にやって来たのを機にホークス情報番組としてリニューアルした。また、TNCが協賛するスポーツイベントが開催される際には、「とべとべ」のタイトルを使ったスペシャル企画が放送される。 とべとべクロカン(毎年春の福岡国際クロスカントリーにあわせて放送) とべとべ九州一周駅伝(毎年秋の九州一周駅伝にあわせて放送) ただ、本番組終了後はあまり編成されていない。
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前身番組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 06:50 UTC 版)
本番組は、次の2つの前身番組があり、いずれもロンちゃんこと吉村が司会を担当した。 ロンちゃんのまんがだョ!(1976年10月4日 - 1977年4月1日) なぜなぜロンちゃん(1977年4月4日 - 1978年9月29日) 放送時間はいずれも、平日17:00 - 17:15(JST)
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