前身・派生型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/21 08:37 UTC 版)
「10.5cm leFH 18」の記事における「前身・派生型」の解説
7.5cm FK L/42 10.5cm leFH 18の前身に相当する野砲で、後に砲架が参考にされた。1930年に完成した試作砲は42口径と長砲身で、砲口初速701m/s、仰角最大42度、最大射程13,480m(13,500m説も有る)という性能を有していた。戦闘重量が1,625kgと当時の野砲としては過剰で、また10.5cm軽榴弾砲を主要装備として整備する方針上、不採用となった。 10.5cm leFH 18M 10.5cm leFH 18の砲口にマズルブレーキを追加して、反衝力軽減を図った型。初期のマズルブレーキは不具合があり、途中で形状が変更されている。装薬の増量が可能となり、射程距離を2,000m近く延長している。 M-30 122mm榴弾砲やQF 25ポンド砲Mk.II~IVに匹敵する射程となったが、76mm師団野砲(F-22、F-22USV、ZiS-3)やM-60 107mm野砲には劣っていた。装甲列車のBP44にも搭載された。 10.5cm leFH 18/39 1939年にオランダへ100基が輸出されて、1940年にドイツが接収したクルップ社製の改修型。弾薬の互換性が無かったため、80基が10.5cm leFH 18Mの砲身に交換された。1941年から1942年にかけて前線へ配備された。 10.5cm leFH 18/40 10.5cm leFH 18Mの砲身と7.5 cm PaK 40の下部砲架と組み合わせて軽量化と生産性向上を図った型。車輪は7.5cm PaK 40よりも大直径で、マズルブレーキの形状も10.5cm leFH 18Mと異なる(反動吸収率が27%から42%に強化)。トーションバー式サスペンションにより牽引速度は改善されたが、軽量砲架の採用は砲身重量過大と反動負荷増大に起因する問題を招いた。1942年3月の発令により着手され、1945年までに10,265門(10,245門説も有る)が生産された。 10.5cm leFH 18/42 クルップ社の開発した31口径砲に換装した型。最大射程は10.5cm leFH 18Mや10.5cm leFH 18/40をやや上回ったが、戦闘重量が増加した事もあり、試作段階に留まっている。 10.5cm突撃榴弾砲42 III号突撃砲の車体に、10.5cm leFH 18の車載版である10.5cm StuH 42を搭載した突撃砲。仰俯角は-6度~+20度、旋回角は左右各10度に制限されている。後にマズルブレーキは不要とされ、廃止された。元々はトーチカなどの硬化防御陣地粉砕用に開発されたが、対戦車戦闘にも用いられた。 ヴェスペ(leFH 18/2 auf Fgst PzKpfw II (Sf)) II号戦車の車体を改造して10.5cm leFH 18/2を搭載した自走榴弾砲。15cm sFH 18/1を主砲にしたフンメルとともに、装甲師団や一部の装甲擲弾兵師団へ配備された。編制定数は、装甲砲兵連隊第1大隊に所属する2個中隊各6両の計12両とされた。 10.5cm leFH18(Sf) auf Geschuetzwagen Lorraine Schlepper (f) ロレーヌシュレッパー(f)ことロレーヌ 37Lに10.5cm leFH 18/4を搭載した自走榴弾砲。60両発注されたが、実際には12両のみ就役した。 10,5cm leFH18(Sf) auf Geschützwagen 39H(f) オチキス H39軽戦車に、マルダーIと同じ要領で10.5cm leFH 18(一部は10.5cm leFH 16)を搭載した自走榴弾砲。1942年~1943年に48両が改装された。 10.5cm leFH18/3(Sf) auf Geschützwagen B-2(f) ルノー B1bis重戦車の戦車砲を撤去して、10.5cm leFH 18/3をオープントップ式に搭載した自走榴弾砲。1942年に16両が改装され、対ゲリラ戦に使用された。第26装甲師団第93装甲砲兵連隊が受領している。 leFH 18/1搭載IV号b型自走砲 IV号戦車の車体を改設計した車台に、10.5cm leFH 18/1をオープントップ式限定旋回砲塔に搭載した自走榴弾砲。費用削減の失敗とエンジンの出力不足により、試作車の2両と先行量産型の10両が製造されただけで終わった。 105 mm leFH 18/40/2 auf Geschützwagen III/IV & 105 mm leichte Feldhaubitze 18/1 L/28 auf Waffenträger Geschützwagen IVb III/IV号車台を母体とした武器運搬車で、車上射撃可能なオープントップ式全周旋回砲塔に10.5cm leFH 18/40/2乃至10.5cm leFH 18/1を備えている。前者のラインメタル社製は主砲のみ、後者のクルップ社製は砲塔を車体から降ろして地上運用出来るのが特徴だった。両方とも量産は行われていない。 10.5cm StuH 42/2 auf Jagdpanzer 38(t) & 10.5cm StuH 42/2 auf Jagdpanzer 38 D(638/28 Gerät 547) ヘッツァーとその発展版である駆逐戦車38Dの派生型。10.5cm StuH 42/2に武装変更した車両で、10.5cm突撃榴弾砲42の後継だと言われている。 Leichte Einheitswaffenträger(Gerät 587 GW 638/26) ヘッツァーとRaupenSchlepper Ostの構成部品を流用した軽武器運搬車。上記のホイシュレッケの代替車両で、10.5cm leFH18/40/5を搭載する計画だったが、実際には8.8cm PaK 43を採用した試作車が製作されていた。量産段階には進んでいない。 mittlerer Einheitswaffenträger(Gerät 578 GW 638/21) 駆逐戦車38Dベースの中型武器運搬車(mittlerer Waffenträger Grosse I)の一案で、10.5cm leFH18/40/5を搭載する予定だった。俯仰角-5度~+42度、携行弾数40発とされたが、開発未了で試作車も存在しない。 105mm ľahká húfnica vz.18 N na platforme Hetzer 第二次世界大戦後のチェコスロバキアで提案されたヘッツァーの派生型。ヘッツァーの車台に10.5cm leFH 18乃至10.5cm leFH 18/40を搭載する設計だった。本格開発に至らず、最終的には放棄されている。
※この「前身・派生型」の解説は、「10.5cm leFH 18」の解説の一部です。
「前身・派生型」を含む「10.5cm leFH 18」の記事については、「10.5cm leFH 18」の概要を参照ください。
- 前身・派生型のページへのリンク