前身・弘田組
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1966年(昭和41年)5月5日、名古屋港で沖仲仕を仕切っていた三代目山口組(組長は田岡一雄)鈴木組組長・鈴木光義(中森光義とも名乗った)がヤクザから引退。この時、鈴木組も解散するが、若頭の弘田武志が鈴木組の縄張りなどを引き継ぎ弘田組を結成、同時に弘田も山口組直参に取り立てられる。 弘田は若頭に司忍を据え、司は司興業を旗揚げ。更に佐々木康裕が弘田より親子盃を受け、佐々木組を結成した。1975年(昭和50年)に髙山清司が佐々木組若頭に就任、翌年に佐々木組は菱心会と改名し髙山は理事長に就任した。
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