前身・堀内町線の開業
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「名古屋市電笹島線」の記事における「前身・堀内町線の開業」の解説
1886年(明治19年)、東海道本線に名古屋駅が開業した。当時は現在地よりも200メートルほど南に位置しており、駅舎正面(東側)の駅前広場は広小路通の突き当りになる三叉路のすぐ北側に立地していた。鉄道開通12年後の1898年(明治31年)、名古屋電気鉄道によって名古屋駅前(笹島町)より広小路通上を久屋町まで路面電車すなわち栄町線が開通する。次いで1901年(明治34年)には柳橋より車庫のある那古野町を経由して押切町へ至る押切線も開通し、以後、名古屋電気鉄道による市内線整備が続いた。 1915年(大正4年)になり、名古屋市によって名古屋駅前から那古野町へ通じる幅員8間半(15.45メートル)の道路「堀内町線」の整備が始まった。名古屋電気鉄道でも同年4月20日付で名古屋駅前 - 那古野町間の軌道敷設特許を出願し、11月1日付でその許可を得ている。しかし用地買収の停滞から道路の竣工は予定より遅れて1919年(大正8年)3月にずれ込む。その2年半後の1921年(大正10年)12月7日、名古屋駅前 - 那古野町間の路面電車すなわち堀内町線も開通をみた。 1922年(大正11年)8月1日、名古屋電気鉄道市内線を名古屋市が買収・市営化し名古屋市電気局(後の交通局)が引き継いだことで名古屋市電が成立した。結果的に、前年開通の堀内町線が名古屋電気鉄道市内線最後の開通路線となった。買収時の資料によると、当時の路線名は「堀内線」で、名古屋駅前 - 那古野町間全線複線、長さは785.76メートルであった。
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