前身・堀内町線の開業とは? わかりやすく解説

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前身・堀内町線の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 03:03 UTC 版)

名古屋市電笹島線」の記事における「前身・堀内町線の開業」の解説

1886年明治19年)、東海道本線名古屋駅開業した当時現在地よりも200メートルほど南に位置しており、駅舎正面東側)の駅前広場広小路通突き当りになる三叉路のすぐ北側立地していた。鉄道開通12年後1898年明治31年)、名古屋電気鉄道によって名古屋駅前(笹島町)より広小路通上を久屋町まで路面電車すなわち栄町線開通する次いで1901年明治34年)には柳橋より車庫のある那古野町経由して押切町へ至る押切線も開通し以後名古屋電気鉄道による市内線整備続いた1915年大正4年)になり、名古屋市によって名古屋駅前から那古野町通じ幅員8間半(15.45メートル)の道路堀内町線」の整備始まった名古屋電気鉄道でも同年4月20日付で名古屋駅前 - 那古野町間の軌道敷特許出願し11月1日付でその許可を得ている。しかし用地買収停滞から道路竣工予定より遅れて1919年大正8年3月ずれ込むその2年半後の1921年大正10年12月7日名古屋駅前 - 那古野町間の路面電車すなわち堀内町線も開通をみた。 1922年大正11年8月1日名古屋電気鉄道市内線名古屋市買収市営化し名古屋市電気局(後の交通局)が引き継いだことで名古屋市電成立した結果的に前年開通堀内町線が名古屋電気鉄道市内線最後開通路線となった買収時の資料によると、当時路線名は「堀内線」で、名古屋駅前 - 那古野町全線複線長さは785.76メートルであった

※この「前身・堀内町線の開業」の解説は、「名古屋市電笹島線」の解説の一部です。
「前身・堀内町線の開業」を含む「名古屋市電笹島線」の記事については、「名古屋市電笹島線」の概要を参照ください。

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