前身学校とは? わかりやすく解説

前身学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:14 UTC 版)

富山県立魚津高等学校」の記事における「前身学校」の解説

魚津中學校 1899年 - 第三中學校として開校(仮校舎旧町役場など)。第一富山第二高岡であった1901年 - 魚津中學校改称1903年 - 新校舎完成1913年 - 奉安殿設置県内では初めて) 1931年7月 - 運動場拡張スタンド構築1937年5月 - 講堂完成(この講堂1955年10月1987年12月改修され、現在も使用されている。鉄筋コンクリート造り学校建築物として県内最古)。 1946年2月5日 - 校舎全焼1度目)。 かつて遠距離通学者のための寄宿舎があったが、北陸線開通後は宿泊する生徒減少1930年廃止され跡地グラウンドになった町立富山縣魚津實業學校 1929年4月 - 魚津町立魚實業補習學校開校同月魚津町立魚實業青年學校改称1936年4月1日 - 町立富山縣魚津實業學校改称魚津尋常高等小學校に仮校舎を置く。 1939年9月 - 大町佛教幼稚園跡の校舎移転1943年3月 - 甲種昇格1944年4月 - 町立富山縣魚津工業學校改組1946年4月 - 甲種町立富山縣魚津實業學校改組魚津高等女學校東部高等女學校1921年4月 - 開校魚津尋常高等小學校に仮校舎を置く。 1922年12月 - 校舎完成1931年9月7日 - 魚津高等女學校プール完成する当時としては完全地下水地下20間から汲み上げた非常に立派なプールだったので、通称、『日本一プール』とも呼ばれていた。 1948年4月 - 魚津女子高等学校改称。 かつて魚津町1913年4月開校した魚津町立魚實科高等女學校存在していたが、魚津高等女學校開校により1922年3月21日閉校校舎1949年12月校舎完成同時に西部中学校譲った校舎一部職員室および体育館)は、魚津市立西部中学校改築時に丸八魚津市内の企業)に移築され1997年まで事務所として使用してきた。校門は、西部中学校になってからもしばらく使用していたが、後に校舎前の道路拡幅工事のため、市内企業引き取られ2006年魚津高校前庭移される

※この「前身学校」の解説は、「富山県立魚津高等学校」の解説の一部です。
「前身学校」を含む「富山県立魚津高等学校」の記事については、「富山県立魚津高等学校」の概要を参照ください。

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