前身政党の結成と非合法化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 09:42 UTC 版)
「ユーゴスラビア共産主義者同盟」の記事における「前身政党の結成と非合法化」の解説
第一次世界大戦後、セルブ=クロアート=スロベーヌ王国(セルビア人=クロアチア人=スロベニア人王国)が建国され、1929年にはユーゴスラビア王国と改称した。そんな中ロシアでの十月革命の影響を受け、第一次大戦前まで分裂していたセルビアなど国家構成体内の社会民主主義政党が結束し、1919年ユーゴスラビア社会主義労働者党-共産主義派(SRPJ-k)を創設。共産主義インターナショナルに参加するかたわら、初のセルビア議会選挙で第3党に躍進し、ベオグラード市長選に当選するなど、着実に勢力を固め、支持を広げていった。結党の1年後に当たる1920年、SRPJ-kはユーゴスラビア共産党(KPJ)と改称した。 王国内の諸政党と違い、KPJはストライキやデモによる大衆運動で支持を拡大し、その中で共産主義革命を成就する道を歩む政策をとっていた。そんなKPJの転機となったのは、ボスニアのトゥズラ近郊で起こった鉱山労働者のストライキである。このストライキで結果的に警官1人と鉱山労働者4人が死亡したことに対し、政府はKPJをストライキの首謀組織として一時的な非合法化を通告。また1921年には恒久的に非合法化された。
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