第一次大戦前とは? わかりやすく解説

第一次大戦前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 17:21 UTC 版)

北急行」の記事における「第一次大戦前」の解説

北急行1896年5月9日オーステンデおよびパリサンクトペテルブルクの間で週1往復運行始めた標準軌客車直通するのはパリおよびオーステンデとアイトクーネンまたはヴェルジュボロヴォの間である。サンクトペテルブルク行きはヴェルジュボロヴォで、パリ・オーステンデ行きはアイトクーネンで客車乗り換えたパリ発着編成オーステンデ発着編成リエージュ合流したまた、カレー - ブリュッセル間にはサロン車(食堂車兼用座席車)1両と荷物車からなる列車運転されブリュッセル北駅オーステンデ発着北急行接続したオーステンデカレーではそれぞれイギリス・ドーバーとの連絡船接続していた。なおカレー発着1902年廃止されている。 翌1897年1月1日からはオーステンデ発着編成は週2往復の運転となった。さらに5月1日にはオーステンデ - ベルリン間は毎日運転となる。ただしパリ発着編成はこの時点では週1往復のままであった11月3日からはパリ - サンクトペテルブルク間およびカレー - ブリュッセル間も週2往復となった。また1897年から1898年にかけての冬季には、パリ発着編成一部寝台車南フランスニースまで直通した。翌年以降はサンクトペテルブルク・ウィーン・ニース・カンヌ急行運転開始に伴いこのような直通行われていない。1899年6月1日からはパリ - ベルリン間も毎日運転となった。 そして同年11月4日からは、オーステンデ・パリからベルリン経由ワルシャワまで週1往復延長されるようになったワルシャワ当時ロシア帝国内のポーランド立憲王国属しており、鉄道ワルシャワ以西標準軌以東広軌であった1909年6月1日からは、ワルシャワ - モスクワ間に北急行接続する「ワルシャワ・モスクワ・北急行」が運転されモスクワでは極東へ向かうシベリア横断急行連絡した。ただし、標準軌北急行広軌のワルシャワ・モスクワ・北急行ワルシャワでの発着駅が異なり乗り換えには市内移動を必要とした。この頃シベリア横断急行途中イルクーツクでの乗り換え必要だったが、1914年にはモスクワからウラジオストク長春への直通実現した。さらにワルシャワから極東までの直通計画されたが、実現する前に第一次世界大戦勃発してしまった。 1914年第一次世界大戦勃発直前各国での総動員のため、北急行その他の国際豪華列車とともに運休となった

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第一次大戦前(車両・編成)

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北急行」の記事における「第一次大戦前(車両・編成)」の解説

1896年運転開始時点では、北急行標準軌区間充てられたのは同年製造寝台車4両(457号車 - 460号車オーステンデ発着パリ発着が各2両)と、1892年製の元ペニンスラ・オリエント急行カレー - ブリンディシ)の食堂車292号車オーステンデ発着)である。また、1889年から1893年までカレー - パリ間の「クラブ列車 (Club train)」に用いられていたサロン245号車カレー - ブリュッセル間の接続列車用いられ、やはり元クラブ列車食堂車242号車パリ - ジュモンフランス語版)(ベルギー国境)間で連結された。このほか、1889年から1892年にかけて製造され荷物車もあった。 その後数次渡って北急行用の車両増備が行われた。1909年時点北急行充てられた客車以下の通りである。 車両標準軌車両広軌車両オーステンデ発着パリ発着サンクトペテルブルク系統モスクワ系統寝台車 22両 5両 4両 食堂車 8両 3両 2両 2両 荷物・郵便車 6両 荷物車 8両 2両 3両 荷物車隔離車) 2両 1909年から14年までの北急行標準軌区間での編成以下のとおりオーステンデ発車両両運転区間荷物車隔離車) 1 オーステンデ - リエージュ 寝台車 2 オーステンデ - ベルリン/ヴィルバリス/ワルシャワ 食堂車 1 オーステンデ - ベルリン/ヴィルバリス/ワルシャワ 荷物車 1 オーステンデ - ベルリン/ヴィルバリス/ワルシャワ パリ発車両両運転区間荷物車 1 パリ - ベルリン/ヴィルバリス/ワルシャワ 寝台車 1または2 パリ - ベルリン/ヴィルバリス/ワルシャワ食堂車) 1 ジュモン - リエージュ

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第一次大戦前(経由地・停車駅)

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北急行」の記事における「第一次大戦前(経由地停車駅)」の解説

特記以外は1909年時点ワゴン・リ社時刻表(Mühl 1991, p. 103)による。経由地備考パリ - リエージュ (- サンクトペテルブルク/ワルシャワフランスパリ 北駅に停車南急行連絡1897年 - 98年冬にはニースまで直通サン=カンタン ジュモンフランス語版国境駅 ベルギーエルクリンヌ(フランス語版国境シャルルロワ ナミュール ユイ リエージュ 以下、オーステンデ発着編成合流カレー - ブリュッセルフランスカレー イギリス・ドーバーとの連絡船接続リール ベルギーブリュッセル 北駅に停車オーステンデ発着列車乗り換えオーステンデ - サンクトペテルブルクベルギーオーステンデ イギリス・ドーバーとの連絡船接続ブリュッセル 北駅停車 ルーヴェン アンス リエージュ パリ発着編成合流ヴェルヴィエ 東駅停車 ウェルカンラト(フランス語版国境ドイツ帝国ヘルベスタル(ドイツ語版国境駅。現ベルギー領ロンツェン(ドイツ語版)の一部アーヘン デューレンDüren ケルン デュッセルドルフ デュースブルク エッセン 1899年まではオーバーハウゼン経由ドルトムント ハム ビーレフェルト ハノーファー シュテンダールStendal ベルリン ベルリン市街鉄道経由動物園駅フリードリヒ通り駅シュレージエン駅(現東駅)に停車ランツベルクポーランドゴジュフ・ヴィエルコポルスキ シュナイデミュール 現ポーランドピワ コニッツ 現ポーランド領ホイニツェ(ポーランド語版) ディルシャウポーランドトチェフ エルビングポーランドエルブロンク ケーニヒスベルクロシア領カリーニングラード インステルブルクロシアチェルニャホフスク アイトクーネン 国境駅。オーステンデパリ行き標準軌客車乗り換え。現ロシア領チェルニシェフスコエ(ロシア語版ロシア帝国ヴェルジュボロヴォ 国境駅。サンクトペテルブルク行き広軌車両乗り換え。現リトアニア・ヴィルバリス、ドイツ語表記ではヴィルバレン (Wirballen)。駅の所在地正確にはキーバルタイ(リトアニア語版)だが、近く都市の名をとってこの駅名呼ばれたカウナスリトアニアヴィリニュスリトアニア領 Švenčionėliai 現リトアニアドヴィンスクラトビアダウガフピルス レーゼクネラトビア領 カルサヴァ(ラトビア語版) 現ラトビアオストロフ プスコフ ルーガ ガッチナ サンクトペテルブルクオーステンデ/パリ -) ベルリン - ワルシャワドイツ帝国ベルリン フランクフルト・アン・デア・オーダー ベンチェン 現ポーランド領ズボンシン(ポーランド語版) ポーゼンポーランドポズナン トルンポーランド領 (ポーランド立憲王国アレクサンドルフ 国境駅。現アレクサンドルフ・クヤフスキ(ポーランド語版) クトノ(ポーランド語版) スキェルニェヴィツェ ワルシャワ ウィーン駅(ポーランド語版)(ワルシャワ・ウィーン鉄道の駅)に停車ワルシャワ - モスクワ(ワルシャワ・モスクワ・北急行)(ポーランド立憲王国ワルシャワ ブレスト駅(現東駅)に停車ウィーン発着標準軌列車との乗り継ぎには市内移動が必要であったロシア帝国ブレストベラルーシ バラーナヴィチベラルーシ ミンスクベラルーシ ヴォルシャベラルーシ スモレンスク ヴャジマ モスクワ ブレスツキー駅(現ベラルースキー駅)、クールスキー駅停車クールスキー駅シベリア横断急行接続

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第一次大戦前

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オーステンデ・ウィーン急行」の記事における「第一次大戦前」の解説

ベルギーオーステンデイギリスドーバーと船で結ばれており、ヨーロッパ大陸鉄道網イギリスとの接続点の一つとなっていた。国際寝台車会社ワゴン・リ社)は1872年創業時からオーステンデ発着寝台車運行していた。 1894年6月1日ワゴン・リ社オーステンデオーストリア=ハンガリー帝国ウィーンブリュッセルケルンフランクフルト・アム・マインニュルンベルクパッサウなどを経由して結ぶオーステンデ・ウィーン急行運行始めた従来イギリスからオーストリア南東ヨーロッパ方面へは、ドーバーからカレー経由しパリオリエント急行乗り継ぐ必要があった。オーステンデ経由はこれより短距離所要時間短かったロンドン - ウィーン間は1泊2日行程となり、朝ロンドンを起てば翌日夕方ウィーンに着くことができた。

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