19世紀 - 第一次大戦前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:46 UTC 版)
「フランス・ドイツ間の国際列車」の記事における「19世紀 - 第一次大戦前」の解説
パリ - ケルン間をベルギー経由で結ぶ鉄道が全通したのは1846年であるが、当時は後の主要経路より遠回りのルートを通っており、途中で乗り換えが必要だった。1865年までに南ベルギー経由の経路が開通した。フォルバックとザールブリュッケンの間で国境を越える路線は1852年に、ストラスブール - ケール間の国境の鉄橋は1861年に開通した。 普仏戦争の後、エルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)はドイツ帝国領となり、パリ - シュトラースブルク(ストラスブール)間ではアヴリクール (Avricourt) が、パリ - ザールブリュッケン間ではパニー=シュル=モセル (Pagny-sur-Moselle) が新たな国境駅となった。 1872年には国際寝台車会社がパリ - ケルン間やパリ - ウィーン間(シュトラースブルク、ミュンヘン経由)で直通寝台車の運行を開始し、1876年までにパリ - フランクフルト・アム・マイン間でも寝台車を直通させた。1883年には東ヨーロッパまで直通するオリエント急行が運行を始め、さらに1896年には同社の北急行 (Nord Express) がパリ - サンクトペテルブルク間をケルン、ハノーファー、ベルリン、ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)経由で結んだ。
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