19世紀・移民の世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:36 UTC 版)
18世紀までのヨーロッパからの移民が主に年季契約の形をとった労働移民であったのに対し、19世紀には自由移民が主流となった。19世紀のヨーロッパでは、産業革命の影響等による人口の増大や交通機関の発達などにより大規模な人口移動がおこった。各国では人口の都市への集中が見られた一方で、海外移民も増加した。第一次世界大戦までの100年間に新大陸に渡ったヨーロッパ人は6000万人に達し、19世紀は正に「移民の世紀」であった。 最大の移民受け入れ国はアメリカ合衆国であり、その数は1821年から1920年までの100年で約3300万人とされる。その前半には北・西ヨーロッパから、その後半は南・東ヨーロッパからの移民が到来し、これは各国の工業化の進展の時期のずれを示している。人口増加や貧困などの経済的な要因だけでなく、迫害を受けたユダヤ人のように政治的・宗教的な要因からの移民も行われた。また19世紀半ばにアフリカからの黒人奴隷が解放されると、中国やインドから労働者を雇い入れ、不足する労働力を補った。 なお、アメリカ大陸・オーストラリア・南アフリカにおける黄色人種(モンゴロイド)のアジア系移民はヨーロッパ系の白人労働者と競合したため、「黄禍」として排斥されたり、移民を制限されたりすることもあった。1870年代にはカリフォルニア州で中国人(中国系アメリカ人)排斥の動きが高まり、1882年には中国人移民禁止法がアメリカ合衆国議会で成立した。1924年にはアメリカ合衆国でとりわけ日本人移民(日系アメリカ人)を制限する「排日移民法」が制定され、日本で「アメリカ政府は人種差別的である」とする反米感情が生まれた。 オーストラリアではアジア系移民の市民権を容認しない「白豪主義」が採用された。南アフリカではこの後、厳しい人種隔離政策である「アパルトヘイト」が長い間継続された。 冷戦終結、東欧革命による共産圏国家の崩壊以降の近年[いつ?]は欧州連合(EU)統合とシェンゲン協定加盟国内の旅行が自由となった影響で、旧東側諸国の東ヨーロッパから旧西側諸国の西ヨーロッパへの移民が増加している。
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