19世紀後半の所有者の変遷
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「モントピリア (ジェームズ・マディソンの邸宅)」の記事における「19世紀後半の所有者の変遷」の解説
1844年にドリー・マディソンが手放してから1901年にデュポン家が購入するまでの間は以下の人物がモントピリアを所有していた。 ヘンリー・モンキュア(1844-1848) - リッチモンド出身の商人。 ベンジャミン・ソーントン(1848-1854) ウィリアム・H・マクファーランド(1854-1855) - リッチモンド出身の裕福な銀行家。ジェームズ・マディソンの熱烈な支持者であったが、短期間で手放した。 アルフレッド・V・スコット(1855-1857) トーマス・J・カーソン(1857-1862) - アイルランド生まれの銀行家。仕事のためにボルチモアに滞在することが多かった。 フランク・カーソン(1862-1881) - 南北戦争中にはアメリカ連合国側の部隊の断続的なキャンプ地になった。老朽化が急速に進行し、モントピリアの所有権を取得するのに必要な額も1857年は8000ドルだったのが、1881年には3500ドルにまで下落した。マディソン家族墓地に埋葬されている唯一のマディソン家以外の人物でもある。 ルイ・F・デトリックとウィリアム・L・ブラッドリー(1881-1900) - 二人のビジネスパートナーが共同で所有。大規模な改造や改装が実施され、多くの部屋に壁紙が貼られた。 チャールズ・キングレニッヒ(1900) - デュポン家当主ウィリアム・デュポン・シニアの秘書。名目上の所有者に過ぎず、彼自身はモントピリアに住まなかった。
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