19世紀後半から21世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 09:58 UTC 版)
「ヴェルサイユ・サンルイ大聖堂」の記事における「19世紀後半から21世紀」の解説
シャルル10世とルイ・フィリップが、ボワズリー(木彫レリーフ)部分、告解室や祭壇などの修復に尽力した。 1840年から1848年、1832年のコレラの蔓延に対する庇護への感謝のしるしとして、聖母の礼拝堂が改築される。 1843年、3代目司教ブランカール・ド・バイユール(fr)により、サン・ルイ大聖堂の聖別式が行われる。 1906年、フランスの歴史的建造物に指定。 1853年から56年、礼拝堂やクワイヤ上部にあった透明の窓が、多彩色のステンドグラスに変更。 2000−02年、クワイヤの改装が検討され、実現されなかったロベール・ド・コットの案をもとに、建築家ブリュノ・ショフェール=イヴァールが楕円形の台を、その上に彫刻家フィリップ・ケプラン(fr)が制作した祭壇が設置される。 サン・ルイ大聖堂のファサード中央 サン・ルイ大聖堂身廊 サン・ルイ大聖堂、大オルガン サン・ルイ大聖堂、クワイヤの祭壇(2002-) 左に司祭館、右にサン・ルイ大聖堂の後ろ部分 司祭館の向こうに見える、サン・ルイ大聖堂の中央ドーム屋根 サン・ルイ大聖堂内のサン・ルイ礼拝堂にある聖ルイのステンドグラス サン・ルイ大聖堂内の、サン・ヴァンサン・ド・ポールの絵画(1761) 摂理礼拝堂 サン・ルイ大聖堂西側の壁にあるプレート。1789年6月22日の、2度目のテニスコートの誓いについての説明。 サン・ルイ大聖堂正面にあるプレート。三部会議員の行列が1789年5月4日に到着したことを説明。 サトリ通りにある説明プレート。三部会議員の行列がサン・ルイ大聖堂に向けて通ったことを説明。
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