19世紀後半 - 20世紀前半の地理学
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「地理学の歴史」の記事における「19世紀後半 - 20世紀前半の地理学」の解説
1859年、近代地理学の確立に努めたフンボルトとリッターの二人の巨匠が相次いで他界した。彼らの功績が大地に根に張るのは19世紀後半まで待たなくてはならない。というのも、彼らが築いた近代地理学の理論が実践されるには技術面・制度面が未熟であったからである。この時代は、各種系統地理学の発達のほかに世界各国へ近代的な地理学が移入されたこと、各国で地理学の学術団体が発達したことが挙げられる。いずれも、現在見られる地理学の根本になっていることである。 この時代には、各地の交通網の発達、資本主義の発達など世界規模で近代化が進行した(日本に明治維新がおこったのもこの時期である)。特に交通網の発達は地理学の関心を増幅させた。アフリカやアジア方面への行き来が容易になったからである。この時期にはオーストラリア大陸も一般に知られ、それまで神の領域とされていたアジア・アフリカ大陸の内陸部までも探検され、現在持たれている地理的な認識とほぼ同じになった(つまり、地球上のすべての範囲が把握されたのである)。またこの時期植民地という名の下でヨーロッパの列強諸国がアジアへ進出したのは、地理学の影響も少なからずある。既にリッターがベルリン大学で地理学を講じていた頃から軍人を相手に士官学校での地理学の講義も行われ、軍事学の一分野としても関心が持たれていたのである。観点よっては、地図の読図や、地理学的知識の修得は敵国の様子を把握する軍事的な重要な手段でもあったからである。このスタンスは、第二次世界大戦期まで日本も例外ではなく、世界各国で見られたことである。特に政治地理学ないしは地政学という分野にこの軍事侵略的な色合いが強かった。特に第二次世界大戦時のドイツにおいて、ナチスの理論の正当化にこの分野が利用され、戦後暫くこの両分野は一種のタブーになっていたことも事実である。 19世紀後半はドイツで興った近代地理学の波がヨーロッパをはじめ世界各国へ移入された。フンボルトは博物学者であったので、彼の直接的影響を受けていったのは、植物学や博物学方面であり、地理学への影響を長く引くことはなかった。それに対しリッターは根っからの地理学者であり、地理学の制度作りにも熱心であったので、彼からの影響が後の世の地理学の土台となった。19世紀後半以降地理学は多くはこのリッターから直接的・間接的に影響を受けた人物が作り上げた。特に彼らはリッター学派とも呼ばれている。しかし、リッターの後、業績を残す人物が出るのには少し時間がかかった。 まずドイツでは、フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン、アルフレート・ヘットナーやフリードリヒ・ラッツェル、オットー・シュリューターが挙げられる。リヒトホーフェンは近代的な地形学の分野とシルクロードの発見に業績があり、地理学協会の会長を務めた。アルフレート・ヘットナーは、その鋭い視点と卓越した文章で地理学方法論や制度論を論じ19世紀後期から20世紀前半の世界的な地理学理論のリーダーとなった。フリードリッヒ・ラッツェルは、地理学を人類と大地の関係を説く学問と見て、環境が人間のあり方を規定するという環境決定論を説いた(彼は政治地理学の創始者でもある)。オットー・シュリューターは人文地理学のあり方を説いた。この時代のドイツでは、ラントシャフト(Landschaft、景観)の概念で論争にもなった。 フランスにはヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュやエマニュエル・ドゥ・マルトンヌが現れた。ブラーシュは環境可能論の立場から人文地理学を説き、環境は人間の活動を規定するのではなく単に可能性を与えるに過ぎないという考えを表明し、この考えは現代地理学の主流となっていった。マルトンヌは「地理学の歴史」を示し鋭い観点から地理学を考察した。また本業である気候学の分野でも著名である。1821年には世界最古の地理学会であるパリ地理学会が発足した。 アメリカでは、アメリカ地理学協会 (AGS) ・アメリカ地理学会 (AAG) が作られ、デービスらが現れた。特に系統地理学の研究が盛んになり、20世紀の地理学を次第にリードしていくこととなった。 日本では、近代化の波に乗って地理学が移入された。地理学科を作ったのは、京都帝国大学の小川琢治や東京帝国大学の山崎直方で、彼らは日本における地理学の父として知られている。また、山崎直方は日本地理学会を作った。また、内村鑑三や牧口常三郎(創価学会の創設者)など在野での地理研究も重要である。 この時代は、近接諸学問の発展と連関して、経済地理学や社会地理学、都市地理学、気候学、地形学など各種系統地理学が相次いで整備されていき、地理学のテーマ内容が多様化されていく時代でもあった。この系統地理学はもちろん現在でも研究されているものである。また各地に学会ができ、各研究者の成果を共有できたことも大きい。 このように、近代化によって系統地理学が整備されていき、20世紀の後半を迎えるのであるが、この時期に特に人文地理学で記述的な地理学に大きな変化が見られるようになる。つまり、より具体的かつ客観的な証明のための数値データというものが導入されていくのである。この流れは「計量革命」と呼ばれ、1950年代のアメリカで起きて世界中に革命的に広がったものであった。
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