19世紀後半 - 20世紀前半の地理学とは? わかりやすく解説

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19世紀後半 - 20世紀前半の地理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 04:47 UTC 版)

地理学の歴史」の記事における「19世紀後半 - 20世紀前半の地理学」の解説

1859年近代地理学確立努めたフンボルトリッター二人巨匠相次いで他界した。彼らの功績大地に根に張るのは19世紀後半まで待たなくてはならないというのも、彼らが築いた近代地理学理論実践されるには技術面制度面が未熟であったからである。この時代は、各種系統地理学発達のほかに世界各国近代的な地理学移入されたこと、各国地理学学術団体発達したことが挙げられるいずれも、現在見られる地理学根本になっていることである。 この時代には、各地交通網発達資本主義の発達など世界規模近代化進行した日本明治維新おこったのもこの時期である)。特に交通網発達地理学関心増幅させた。アフリカアジア方面への行き来容易になったからである。この時期にはオーストラリア大陸一般に知られそれまで神の領域とされていたアジア・アフリカ大陸内陸部までも探検され、現在持たれている地理的な認識とほぼ同じになった(つまり、地球上すべての範囲把握されのである)。またこの時期植民地という名の下でヨーロッパの列強諸国アジア進出したのは、地理学影響少なからずある。既にリッターベルリン大学地理学講じていた頃から軍人相手士官学校での地理学講義行われ軍事学一分野としても関心持たれていたのである観点よっては、地図読図や、地理学知識修得敵国様子把握する軍事的な重要な手段でもあったからである。このスタンスは、第二次世界大戦期まで日本例外ではなく世界各国見られたことである。特に政治地理学ないしは地政学という分野にこの軍事侵略的な色合い強かった。特に第二次世界大戦時ドイツにおいて、ナチス理論正当化この分野が利用され戦後暫くこの両分野は一種タブーになっていたことも事実である。 19世紀後半ドイツ興った近代地理学の波がヨーロッパをはじめ世界各国移入された。フンボルト博物学者であったので、彼の直接的影響受けていったのは、植物学博物学方面であり、地理学への影響長く引くことはなかった。それに対しリッター根っから地理学者であり、地理学制度作りにも熱心であったので、彼からの影響後の世地理学土台となった19世紀後半以降地理学多くはこのリッターから直接的間接的に影響を受けた人物が作り上げた。特に彼らはリッター学派とも呼ばれている。しかし、リッターの後、業績を残す人物が出るのには少し時間かかった。 まずドイツでは、フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンアルフレート・ヘットナーフリードリヒ・ラッツェルオットー・シュリューター挙げられるリヒトホーフェン近代的な地形学分野シルクロード発見業績があり、地理学協会会長務めたアルフレート・ヘットナーは、その鋭い視点卓越した文章で地理学方法論制度論を論じ19世紀後期から20世紀前半世界的な地理学理論リーダーとなったフリードリッヒ・ラッツェルは、地理学人類大地の関係を説く学問見て環境人間あり方規定するという環境決定論説いた(彼は政治地理学創始者でもある)。オットー・シュリューター人文地理学あり方説いた。この時代ドイツでは、ラントシャフト(Landschaft景観)の概念論争にもなった。 フランスにはヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュやエマニュエル・ドゥ・マルトンヌ現れた。ブラーシュは環境可能論立場から人文地理学説き環境人間活動規定するではなく単に可能性与えに過ぎないという考え表明し、この考え現代地理学主流となっていった。マルトンヌは「地理学の歴史」を示し鋭い観点から地理学考察した。また本業である気候学分野でも著名である。1821年には世界最古地理学会であるパリ地理学会発足したアメリカではアメリカ地理学協会 (AGS) ・アメリカ地理学会 (AAG) が作られデービスらが現れた。特に系統地理学研究盛んになり、20世紀地理学次第リードしていくこととなった日本では近代化波に乗って地理学移入された。地理学科作ったのは、京都帝国大学小川琢治東京帝国大学山崎直方で、彼らは日本における地理学の父として知られている。また、山崎直方日本地理学会作ったまた、内村鑑三牧口常三郎創価学会創設者)など在野での地理研究も重要である。 この時代は、近接諸学問の発展連関して、経済地理学社会地理学都市地理学気候学地形学など各種系統地理学相次いで整備されていき、地理学テーマ内容多様化されていく時代でもあった。この系統地理学はもちろん現在でも研究されているものである。また各地学会ができ、各研究者成果共有できたことも大きい。 このように近代化によって系統地理学整備されていき、20世紀後半迎えのであるが、この時期に特に人文地理学記述的な地理学大きな変化見られるうになる。つまり、より具体的かつ客観的な証明のための数値データというものが導入されていくのである。この流れは「計量革命」と呼ばれ1950年代アメリカで起きて世界中革命的に広がったものであった

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