19世紀半ばの都市への移行
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「コルンヴェストハイム」の記事における「19世紀半ばの都市への移行」の解説
1846年に王立ヴュルテンベルク邦有鉄道の駅が設けられたことで、交通の便が良いことから人口が19世紀終わり頃から大きく増加した。特に1896年の貨物線建設や1913年から1919年の操車場建設、これに伴う工場の創業により拍車がかかった。1885年からこの街で工房を開いていた靴職人ヤーコプ・ジグレは、1891年に商人のマックス・レーフィと共同で靴工場 J. Sigle & Cie. を設立した。後のサラマンダー AG(ドイツ語版)である。1898年にアルベルト・シュトッツが機械工場 A. シュトッツを開設し、1939年にはクライドラー社が開業した。 1931年4月1日にコルンヴェストハイムは都市権を獲得した。コルンヴェストハイムは1934年にオーバーアムト・ルートヴィヒスブルクからルートヴィヒスブルク郡 (Kreis) へ、1938年に同郡 (Landkreis) の所属となった。1973年の郡域再編により現在のルートヴィヒスブルク郡が成立した。 防衛軍の軍備拡大に伴い、1934年から戦車部隊のためのヒンデンブルク兵舎およびルーデンドルフ兵舎が建設され、コルンヴェストハイムは1935年/1936年に軍事都市となった。第二次世界大戦では多くの犠牲を払った。連合国軍の空爆により、162人が死亡し、160棟の建物が破壊された。戦争でコルンヴェストハイム全体の 8 % が破壊された。前線では 478人のコルンヴェストハイム出身の兵士が死亡した。1945年4月21日、アメリカ軍がこの街を占領し、存在していた兵舎は1993年まで引き続き利用された。旧ヒンデンブルク兵舎は、ウィルキン兵舎と改名された。 コルンヴェストハイムはアメリカ管理地区(ドイツ語版)の一部となり、1945年からは新設されたヴュルテンベルク=バーデン州(ドイツ語版、英語版)、1952年から現在のバーデン=ヴュルテンベルク州に属した。 コルンヴェストハイムは1956年4月1日に大規模郡都市となった。シュトゥットガルトとルートヴィヒスブルクとの間に位置する立地から、1973年の地域再編で他の地区を合併することはなかった。このため市域はこれ以後、かなり密集した状況にある。1954年から1990年代初めまでアメリカ軍が利用していたコルンヴェストハイム東部のパットンヴィレ住宅地の分配部分だけがこの街の新しい市区となった。パットンヴィレ東部の大きな部分は隣市のレムスエック・アム・ネッカーに属す。
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