19世紀前半まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 17:38 UTC 版)
19世紀初頭、リモージュとオート=ヴィエンヌ県には6つの製陶所が存在していた。後年(1900年)の批評によれば、この頃から質のよい磁器が製造されていたと評価されている。 18世紀のうちにサンティリエ=ラ=ペルシュにセイニー伯爵によって設立された「セイニー伯爵製陶所」を、1789年にエティエンヌ・ベニョルが引き継ぎ「ベニョル製陶所」とした。この人物はそれまで「アルトワ伯爵製陶所」に在籍し、その技術を高く評価されていた技術者であった。1802年にパリの芸術産業展示会に作品を出展しここでも高評価を受けた。 リモージュ磁器の白さを発展させた人物としてはフランソワ・アリュオーが挙げられる(初期のリモージュは『微妙に黄色がかった素地』を特徴とした)。この人物は1788年、「アルトワ伯爵製陶所」の経営を引き継ぎ1792年まで所長だった同名人物の息子であり、鉱物学者でもあった。また、金属酸化物を用いた独特の絵付け手法により、茶色の新色も編み出した。 他にもこの時期には、パリで仕事をしていた職人たちがリモージュに移住し、レリーフや人物像といった立体装飾、そして絵付けにも影響を与えた。
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