19世紀後半〜20世紀初頭の軍服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:37 UTC 版)
「軍服 (イギリス)」の記事における「19世紀後半〜20世紀初頭の軍服」の解説
詰襟の短上着(チュニック)と長ズボンが19世紀中頃に採用され、20世紀初頭までの間に幾度か細部の改正がされた。その間、ヴィクトリア女王とアルバート公の成婚と共同統治を経て、重騎兵以外の正帽は幾度か変更され、ドイツ色が強くなった。そしてこの服装は、略装や戦闘用の服装が別途制定されるようになったため正装として扱われるようになり、現在でも Full Dress として使用されている。色や形は連隊によって異なる。 王室騎兵隊は詰襟でシングルボタンの上着で、色はライフガーズが赤、ブルーズ・アンド・ロイヤルズが紺色。ズボンは乗馬用が白で下馬用が紺色である。正帽はナポレオン時代のフランス重騎兵風のヘルメットから、1832年に近衛歩兵のようなベアスキンに変更された。そして、プロイセンの重騎兵用ピッケルハウベの試作品、或いはロシアで試作されていた同様のものをモデルとした、全金属製のスパイク付きヘルメットが1842年に採用され、そのまま現在まで使用されている。このヘルメットはアルバートヘルメットとも呼ばれた。プルームの色はライフガーズ連隊が白、ブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊が赤である。 竜騎兵連隊は赤色の詰襟でシングルボタンの上着に紺色のズボンが殆どだが、第6近衛竜騎兵連隊(騎兵銃連隊)(6th Dragoon Guards (The Carabiniers))は紺色の上着だった。また、第5(プリンセス・シャーロット・オブ・ウェールズ)近衛竜騎兵連隊(5th Dragoon Guards)はトレードマークの緑色のズボンを使用し続けている。この緑色のズボンは、同連隊が第6(イニスキリング)竜騎兵連隊(6th (Inniskilling) Dragoons)と併合されて第5イニスキリング近衛竜騎兵連隊(5th Royal Inniskilling Dragoon Guards)となった後も受け継がれた。正帽はナポレオン時代のフランス重騎兵風のヘルメットから、1847年にアルバートヘルメットに変更された。但し、ロイヤルスコッチグレイ(第2竜騎兵)連隊(The Royal Scots Greys (2nd Dragoons))はナポレオン戦争以来使用しているベアスキンをモデルチェンジしながら使用し続けており、現在でも同連隊の伝統を受け継ぐロイヤルスコッチ・ドラゴンガーズ(騎兵銃とグレイ)(The Royal Scots Dragoon Guards (Carabiniers and Greys)))の軍楽隊は現在でも竜騎兵連隊で唯一ベアスキンを使用している。 ライフル連隊以外の歩兵連隊と工兵は赤色の詰襟でシングルボタンの上着と紺色のズボン。ボタンの数や配列、袖の形は連隊によって違いが見られる。スコットランドの歩兵連隊はキルト又はタータンチェックのズボンを着用する。正帽はシャコー帽が背の高いものから低いものへ変化した後、一般歩兵は1878年にプロイセンのピッケルハウベをモデルとした、ホームサービスヘルメットを採用した。通常のホームサービスヘルメットは紺色だが、軽歩兵連隊のヘルメットカバーは濃緑色であった。19世紀前半には、一部連隊の擲弾兵中隊がベアスキンを着用していたが、近衛歩兵第一連隊はワーテルローの戦いでフランス擲弾兵に勝利した功績を記念してグレナディアガーズ(Grenadier Guards)の称号が与えられ、擲弾兵を象徴する1815年からベアスキンを着用するようになった。そして、コールドストリームガーズ連隊及びスコッツガーズ連隊も1831年から着用するようになった。その後に創立されたアイリッシュガーズとウェルシュガーズも採用し、近衛歩兵は現在でもベアスキンを使用している。また、フュージリア連隊の称号を与えられた連隊もベアスキンを着用し、現在でも軍楽隊は使用している。工兵は1857年にバスビーへ変更した。現在でも王立通信兵軍楽隊はバスビーを着用したこの当時の工兵スタイルである。1978年には歩兵と同じホームサービスヘルメットを採用したが、その後砲兵用タイプに変更した。 ライフル連隊は上下とも暗緑色。上着は詰襟で、将校は肋骨服型、下士官・兵はシングルボタン。正帽は一般歩兵と同様に変遷したが、1878年に採用されたホームサービスヘルメットは上着と同色だった。そして、1890年にはバスビーに変更された。 砲兵及び輜重兵は紺色の詰襟・シングルボタンの上着と同色のズボン。襟と袖の色が連隊毎に異なる。正帽は歩兵と同様にシャコー帽が背の高いものから低いものへ変化した後、砲兵は1855年にバスビーに変更した。1978年には両部隊とも歩兵型のホームサービスヘルメットを採用したが、砲兵は1881年、輜重兵は1888年にプロイセン砲兵と同様のスパイク先端が球状になったものに変更した。 槍騎兵連隊はポーランド槍騎兵スタイルで、詰襟でダブルボタンの胸当て付き上着と紺色のズボン。上着と胸当ての色の組み合わせが連隊毎に異なる。正帽はポーランド風のチャプカ (Czapka) を使用し続けている。 軽騎兵連隊はハンガリー軽騎兵スタイルで、紺色のドルマン (Dolman) と呼ばれる型の上着で、胸の紐は6組。ズボンと袖の色は連隊によって異なる。1850年代まで(一部の連隊は1820年代まで)は胸の紐が無数にある華美な物だったが、シンプルな物に変更された。正帽は1940年代まで(一部の連隊は1820年代まで)背の高いシャコー帽を使用していたが、その後、バスビー (Busby) と呼ばれる背の低い熊皮帽となった。 王立騎馬砲兵連隊の服装は紺色の上下で軽騎兵連隊と似ているが、胸の紐が無数にある。1850年代までは軽騎兵連隊と同じ服装であったが、軽騎兵が上着を改正した後もこの服装を使い続けている。正帽は軽騎兵と同様であるが、バスビーへの変更は若干早い。 軍楽隊は所属連隊の服装に識別の飾りを付けただけのものが多いが、隊長だけ違う色の上着を着用する場合もある。それに対してドラム隊とパイプ隊は識別の飾りが派手で、独自の服装を着用する連隊も多い。 クリミア戦争における第11軽騎兵連隊 クリミア戦争におけるブラウン将軍とその幕僚達 クリミア戦争における第93歩兵連隊(93rd (Sutherland Highlanders) Regiment of Foot)のシン・レッド・ライン(The Thin Red Line)。 クリミア戦争における第57歩兵連隊 クリミア戦争における略装のグレナディアガーズ指揮官 第二次アフガン戦争の第66歩兵連隊と王立騎馬砲兵 第二次アフガン戦争で戦闘中の王立騎馬砲兵 19世紀末の騎馬砲兵
※この「19世紀後半〜20世紀初頭の軍服」の解説は、「軍服 (イギリス)」の解説の一部です。
「19世紀後半〜20世紀初頭の軍服」を含む「軍服 (イギリス)」の記事については、「軍服 (イギリス)」の概要を参照ください。
- 19世紀後半〜20世紀初頭の軍服のページへのリンク