フュージリアとは? わかりやすく解説

フュージリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:49 UTC 版)

ロイヤル・フュージリアーズ連隊」の記事における「フュージリア」の解説

17世紀前半ヨーロッパでフリントロック式の銃が開発された。フリントロック式マスケット銃は”フュジ”(Fusil)と呼ばれ、これを装備した兵士は”フュジリエ”(Fusilierフランス語読み)と呼ばれたフリントロック式銃は従来マッチロック式銃のように火の付いた火縄火種持ち歩く必要がないため、引火性物質近くにあっても安全であり、即時射撃できる状態のまま負革背負うことも出来ようになったその様理由から、行軍の際は大量火薬積んだ馬車押し、敵が現われたら即時応戦する必要がある砲兵段列護衛兵フリントロック式銃を最初に配備され兵種一つだった。フランスでは1671年砲兵段列護衛任務とした、”近衛フュジリエ連隊”が編成された。 フリントロック式銃を優先配備されていた兵種としては、各歩兵連隊中隊として編成され擲弾投擲任務とした擲弾兵があった。彼らも手を空けるために銃を背負い、必要があれば背負った銃を迅速に構えるためることが要求されていた。擲弾兵は、当時一般的だった広いツバ付いた帽子ハット)では擲弾投げる際に邪魔になるため、独特の形状をした擲弾兵帽(grenadier cap)を着用していた。また、この帽子背負った銃を取り出す際に負い革引っかからないという利点もある。 フリントロック式銃の機関部プロイセン擲弾兵帽。 イギリスでは1685年国王となったジェームス2世命令により、ボード・オブ・オードナンス(Board of Ordnance)の長官(Master-General of the Ordnanceであったダートマス卿ジョージ・レッグ(George Legge, 1st Baron Dartmouth)は砲兵段列護衛する連隊編成した。このオードナンス連隊Ordnance Regimen)はロイヤル・フュージリア連隊Royal Regiment of Fusilier/後の第7連隊)と名付けられた。また同年スコットランドマー伯爵連隊(The Earl of Mar's Regiment)が砲兵段列護衛隊改編され、スコッツ・フュージリアーズ(The Scots Fusileers/後の第21連隊となった。フュージリア連隊は、当時一般的な戦列歩兵連隊には必ずあったパイク中隊と、多く連隊置かれていた擲弾兵中隊無く当時としては最新式フリントロック式銃を全員装備していた。この頃のフュージリア兵は、負い革背負った銃を取り出す際邪魔にならないように、布製キャップ着用していたが、やがて前述擲弾兵帽を使用するうになる1688年にはフュージリア連隊フリントロック式銃を装備する歩兵連隊位置付けられるようになった。またこの年には、後にフュージリア連隊となるハーバート連隊Lord Harber's Regiment/後の第23連隊)がウェールズ編成されている。この連隊制服当初オランダ軍と同じ青だった。 18世紀に入る頃にはマッチロック式銃は使われなくなり全軍フリントロック式が行渡るようになり、これらも”マスケット銃”と呼ばれるようになった。そして、初期のフュジが同時期のマッチロック式銃に比べて小型軽量であったことから、小型軽量の銃をフュジと呼ぶようになった。同じ頃、擲弾実戦では使われなくなり、”擲弾兵中隊”は勇敢で体格優れた兵士集めた戦術上重要な局面投入される精鋭部隊へと変化した。 やがて、ヨーロッパ大陸国々では各連隊精鋭中隊集めた擲弾兵連隊”が編成されるようになったが、イギリスでは従来通り連隊精鋭中隊を”擲弾兵中隊”とし、連隊規模精鋭部隊は”フュージリア連隊”と呼ぶようになった。これは、初期のフュージリア連隊最新式装備優先的に配備されエリート部隊とされていたためである。その様なわけで、フュージリア連隊制服は各連隊擲弾兵中隊と共に、各時代に於ける他のヨーロッパ諸国擲弾兵服装準じて変遷して行く。 一方大陸では”フュージリア”は一般歩兵意味するようになり、オーストリアフランスでは歩兵連隊擲弾兵中隊以外の中隊が”フュージリア中隊”と呼ばれるようになったプロイセンでは逆に住民体格が劣る地域出身者構成され連隊を”フュージリア連隊”とした。プロイセンのフュージリア連隊では、兵士小柄さが目立たないようにするために小型の銃を持たせ、背を高く見せるために擲弾兵帽を被らせていた。その後軽歩兵意味するようになった1714年にはハーバート連隊Lord Harber's Regiment)がフュージリア兵連隊改編され、ロイヤル・ウェルシュ・フュージリアーズ連隊(Royal Regiment of Welch Fusiliers)となった。これらのフュージリア連隊は、18世紀半ばに各連隊番号割り当てられた際には、イングランド連隊には”第7”、スコットランド連隊には”第21”、ウェールズ連隊には”第23”が割り当てられている。 (右の写真)ロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ(第21連隊兵士。”ロイヤル”なので折り返しロイヤルブルー、”フュージリアー”なので帽子や剣は擲弾兵式のものを着用当時、第5, 6, 20連隊はまだ”ロイヤル”にも”フュージリアー”にもなっていなかったので、一般歩兵服装・装備だが(同年の第5, 6, 20連隊服装については#統合された連隊沿革参照)、第7連隊は”ロイヤル・フュージリアーズ”なので、第21連隊同様の服装だった。但し、この第21連隊スコットランド連隊なので帽章シッスル勲章星章だが、第7連隊イングランド連隊なのでガーター勲章星章中心に赤いバラ配したのだったまた、21連隊帽章王冠着けることを許されたのはこの後だが、第7連隊この頃既に帽章の上王冠着けていた。 1757年プロイセン35(フュージリア兵)連隊。新領土から集めた兵士連隊1792年プロイセンのフュージリア兵(軽歩兵大隊19世紀に入るとヨーロッパ大陸諸国の”擲弾兵連隊”は名誉称号となっていたが、イギリスではこれに相当する名誉称号として功績のあった連隊に”フュージリア連隊”の名称を与えている。そして、フュージリア連隊服装だけでなく、1826年以降帽章擲弾模したものを使用するようになった1827年に第87連隊1836年には第5連隊称号与えられそれぞれ87プリンス・オブ・ウェールズ・オウン・アイリッシュ・フュージリアーズ(87th The Prince of Wales's Own Irish Fusiliers)と第5(ノーサンバーランド)フュージリアーズ連隊5th (Northumberland) Fusiliers Regimentとなったまた、フュージリアー連隊擲弾兵中隊置いていなかったが、1858年には他の歩兵連隊一般中隊擲弾兵中隊区別撤廃した1861年インド新設された4個の歩兵連隊創立当初から”フュージリアーズ”称号与えられそのうち3個連隊には”ロイヤル”の称号付いており、第101歩兵連隊(ロイヤル・ベンガル・フュージリアーズ)(101st Regiment of Foot (Royal Bengal Fusiliers))、第102歩兵連隊(ロイヤル・マドラス・フュージリアーズ)(102nd Regiment of Foot (Royal Madras Fusiliers))、第103歩兵連隊(ロイヤル・ボンベイ・フュージリアーズ)(103rd Regiment of Foot (Royal Bombay Fusiliers))、第104歩兵連隊(ベンガル・フュージリアーズ)(104th Regiment of Foot (Bengal Fusiliers))と名付けられた。 1881年には第20連隊ランカシャー・フュージリアーズLancashire Fusiliers)となり、第27108連隊統合に伴いロイヤル・イニスキリング・フュージリアーズ(Royal Inniskilling Fusiliers)となった。また同年には、既にフュージリア連隊だった第87連隊が第89連隊統合されてプリンセス・ヴィクトリアーズ(アイリッシュ・フュージリアーズ)(Princess Victoria's (Royal Irish Fusiliers))となった同様に、第101104、第102103連隊統合され、共にアイルランド連隊改編されてロイヤル・マンスター・フュージリアーズ(Royal Munster Fusiliers/101, 104)及びロイヤル・ダブリン・フュージリアーズ(Royal Dublin Fusiliers/102, 103となった。しかし、アイルランドの独立に伴い1922年に両連隊廃止された。 1950年代末からイギリス陸軍では再編成が行なわれ、連隊統合盛んになり、1959年ロイヤル・スコッツ・フュージリアーズ(第21連隊)が他の連隊統合されロイヤル・ハイランド・フュージリアーズRoyal Highland Fusiliers)となったまた、1963年、ロイヤル・ウォリックシャー連隊(第6連隊)がフュージリア旅団組み入れられた。そして、これを機にロイヤル・ウォリックシャー・フュージリアーズとなった。 そして、1964年からは大型連隊編成始まり前記(#沿革)のように4個あったイングランドのフュージリア連隊統合されたのと同じ1968年、2個となっていたアイルランドのフュージリア連隊、ロイヤル・イニスキリング・フュージリアーズ(27, 108)とプリンセス・ヴィクトリアーズ(87, 89)は他の連隊統合されてロイヤル・アイリシュ・レンジャー(Royal Irish Rangersとなった。同連隊1992年、ロイヤル・アイリシュ連隊(Royal Irish Regiment)へ統合された。 各1個連隊となっていたスコットランド及びウェールズのフュージリア連隊2006年大型連隊統合されそれぞれロイヤル・ウェルシュ(Royal Welsh)第1大隊ロイヤル・スコットランド連隊第2大隊になった19世紀からフュージリアの正装用の帽子として使用されてきた、擲弾帽章付いたベアスキン帽は、”クィーンズ師団ミンデンバンド”に受け継がれている。 1776年の第40連隊擲弾兵1793年の第87連隊擲弾兵。フュージリア連隊になる前。

※この「フュージリア」の解説は、「ロイヤル・フュージリアーズ連隊」の解説の一部です。
「フュージリア」を含む「ロイヤル・フュージリアーズ連隊」の記事については、「ロイヤル・フュージリアーズ連隊」の概要を参照ください。

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