服装・装備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:38 UTC 版)
当初、袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(水色)の羽織を着用していたとされる。羽織のダンダラは、歌舞伎などの演目『忠臣蔵』で赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたときに着ている羽織の柄(ただし史実ではなく赤穂事件をもとにした創作で広まったもの)で、浅葱色は武士の死に装束の色である。製作したのは大文字屋呉服店(現在の大丸)。一説には、大文字屋ではなく四条の呉服屋「菱屋」ともいわれる。 ダンダラ羽織は最初の1年ほどで廃止されたらしく、池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録である。池田屋事件の2日後に目撃された隊士の服装は、着込襦袢、襠高袴、紺の脚絆、後鉢巻、白の襷であった。新選組に尾行されていた大村藩士・渡辺昇によれば、尾行者が黒衣・黒袴であればすぐに新選組であると分かったという。また、明治末期に老人が、新選組は黒羅紗筒袖の陣羽織を着ていたと証言していることから、ダンダラ羽織の廃止後は黒ずくめであったと考えられる。 警備や戦闘の際には、鉢金、鎖帷子、籠手、胴などの防具を装着した。武器は市街地戦を想定し打刀と短槍であった。局長の近藤勇は打刀とほぼ同寸の長脇差を好んだ。副長の土方歳三も、刃長2尺8寸の和泉守兼定、1尺9寸5分の堀川国広の刀を用いていた。 鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れた直後に土方が会津藩から2,000両を受給しており、新式の兵装備品に充てた可能性が高い。
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