「馬飼埴輪」説の登場
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「埴輪 踊る人々」の記事における「「馬飼埴輪」説の登場」の解説
その後も、古墳や埴輪窯跡などの発掘調査が増加するにつれて形象埴輪の出土例も豊富になり、古墳に樹立される形象埴輪群像の意義について多くの学説・見解が現れたが、「踊る人物」や「巫女」・「鷹匠」などの埴輪の分類設定は基本的に継承されていった。 しかしこうした中で、1990年代以降には後藤の研究以来使われてきたこれらの分類方法と名称に対して、その妥当性への疑問も提唱されるようになってきた。 例えば「踊る埴輪」の場合、後藤は片腕をあげる所作について、他の楽器を演奏する埴輪の例とを照らし合わせて「踊る」と見なしたのであるが、これは個々の埴輪がもつ一部の特徴的な所作や服装などに注目して推定されたものに過ぎず、果たして本当に踊っているのか、あるいは、「踊り」であるとする具体的な根拠は何かが示されていない、と言う意見である。 この問題に対し、大正大学教授の塚田良道は、従来の人物埴輪研究では、考古学において基礎的な研究方法である型式学的研究法による検討が不足しているにも関わらず、後藤以来の埴輪分類・名称設定がほとんど無批判に継承されてきたことを指摘した上で、人物埴輪の所作・服装・装備について形式(型式)学的手法での類型化を行った。その結果「踊る埴輪」の特徴的な属性である「片腕をあげる」「腰帯に鎌を装備する」「半身立像である」「頭の両側に振り分けた髪型をもつ」などの諸要素が、片腕をあげて手綱を持ち、馬を引く姿を表した「馬飼(うまかい、馬子・馬曳)」の埴輪と広く共通することから、「踊る埴輪」も馬飼とみるのが妥当であるとの見解を示した。また複数古墳の埴輪群像の配置パターンを分析し、かつて後藤が「踊り(歌舞)」を想定する根拠の1つとした「琴を弾く(楽奏)埴輪」が、群像の中心的存在である座像主体の配置内にあり、より外側に配置される片腕をあげる埴輪(馬飼)とは違う配置形式にあるとして後藤の論理に疑問を示し、形式学的には「踊る」所作として類型化できる一群は見出だせないとした。加えて、埴輪では女性を示すために乳房を表現することが多いが、「踊る埴輪」の大きい方にはそれがなく、塚田は2体とも男性の馬曳(馬飼)と考えてよいと述べ、当該の埴輪を「踊っている」とみるのは「かなり恣意的な解釈」ではないかと批判している。 なお片腕をあげ、鎌を装備するなどする人物埴輪の一群が「馬飼」であろうことは、この形式の埴輪が、埼玉県行田市酒巻古墳群の例や群馬県前橋市内堀遺跡群(内堀4号墳)の例、また、千葉県芝山古墳群(姫塚古墳)の例などのような、樹立当時の原位置を保って遺存していた事例において、馬形埴輪の斜め前に立ち、掲げた片腕がちょうど馬形埴輪の前にくる位置で出土していることから確認されている。 西日本では、奈良県磯城郡田原本町笹鉾山2号墳の例(県指定文化財)が知られ、本例では掲げた左手に手綱の表現とみられる粘土紐が握られている。 笹鉾山2号墳出土埴輪 笹鉾山2号墳出土埴輪
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