出土例とは? わかりやすく解説

出土例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 14:04 UTC 版)

開基勝宝」の記事における「出土例」の解説

1796年寛政6年)、西大寺西塔跡から1枚出土し皇室献上され御物となる。人の目に触れることがなかったため贋物説すら囁かれたが、1937年昭和12年)、西大寺畑山宅地用の地ならし中に31点が偶然発見される。これらは現在、東京国立博物館収蔵され重要文化財指定されている。 質量寛政期出土のものが17.6グラム大型であり、昭和時代西大寺畑山出土のものは11.0~14.7グラムばらつき大きい。 なお、1937年発見の際、「賈行」と読める銀銭破片同時に見つかった。この銀銭史実記載がなく、残り文字わからない謎の銀貨である。

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出土例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:22 UTC 版)

無文銀銭」の記事における「出土例」の解説

無文銀銭これまで17遺跡18遺跡)から出土し大和国 7遺跡(8遺跡)、近江国 6遺跡摂津国河内国山城国伊勢国それぞれ1遺跡で、7世紀後半に都が置かれ附近集中する出土数が多い近江では大津宮(667-672年)との関連示唆され天智期に発行された説が有力とされる大和では飛鳥京6世紀末-7世紀末)、藤原京(694-710年)、平城京(710-784年)から出土し、かなり長期亘って使用され可能性示唆されるまた、摂津難波京645年以降附近でも出土している。 延享の頃大隅国から出土宝暦11年1761年摂津国天王寺村大阪市天王寺区) : 眞寳院の畑から100枚前後2枚現存明治6年1873年添下郡都祁村奈良市横領町) : 平城京右京三条一坊から1枚昭和15年1940年大津市 : 崇福寺跡, 舎利蔵と共に121枚紛失)。 1958年, 明日香村川原 : 川原寺跡から1枚半裁品。 1956年, 柏原市船橋 : 船橋遺跡から1枚1976年, 明日香村岡 : 飛鳥京から1枚1976年, 鈴鹿市加佐登町 : 北野古墳から1枚1986年, 明日香村飛鳥 : 石神遺跡から1枚1985年, 橿原市四条町 : 藤原京左京六条三坊から1枚周囲削り取り有。 1987年, 大津市瀬田 : 唐橋遺跡から1枚1988年, 守山市赤野井町 : 赤野井湾南遺跡から1枚1988年, 栗東町安養寺 : 狐塚遺跡から1枚1994年, 桜井市谷 : 谷遺跡から1枚切断片。 1995年, 甲良町尼子出屋敷 : 尼子西遺跡から1枚1994年, 京都市左京区北白川 : 小倉別当町遺跡から1枚1997年, 奈良市 : 平城京右京二条三坊四坪から1枚1998年, 明日香村 : 富本銭出土した飛鳥遺跡から1枚分の切断片6片。 2004年, 栗東町 : 霊仙寺遺跡から1枚切断片。

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