出土例
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1796年(寛政6年)、西大寺西塔跡から1枚出土し、皇室に献上されて御物となる。人の目に触れることがなかったため贋物説すら囁かれたが、1937年(昭和12年)、西大寺畑山で宅地用の地ならし中に31点が偶然発見される。これらは現在、東京国立博物館に収蔵され、重要文化財に指定されている。 質量は寛政期出土のものが17.6グラムと大型であり、昭和時代、西大寺畑山出土のものは11.0~14.7グラムとばらつきが大きい。 なお、1937年の発見の際、「賈行」と読める銀銭の破片も同時に見つかった。この銀銭は史実に記載がなく、残りの文字もわからない謎の銀貨である。
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出土例
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無文銀銭はこれまでに17遺跡(18遺跡)から出土し、大和国 7遺跡(8遺跡)、近江国 6遺跡、摂津国・河内国・山城国・伊勢国がそれぞれ1遺跡で、7世紀後半に都が置かれた附近に集中する。 出土数が多い近江では大津宮(667-672年)との関連が示唆され、天智朝期に発行された説が有力とされる。大和では飛鳥京(6世紀末-7世紀末)、藤原京(694-710年)、平城京(710-784年)から出土し、かなり長期に亘って使用された可能性が示唆される。また、摂津の難波京(645年以降)附近でも出土している。 延享の頃大隅国から出土。 宝暦11年(1761年)摂津国天王寺村(大阪市天王寺区) : 眞寳院の畑から100枚前後。2枚現存。 明治6年(1873年)添下郡都祁村(奈良市横領町) : 平城京右京三条一坊から1枚。 昭和15年(1940年)大津市 : 崇福寺跡, 舎利蔵器と共に12枚(1枚紛失)。 1958年, 明日香村川原 : 川原寺跡から1枚。半裁品。 1956年, 柏原市船橋 : 船橋遺跡から1枚。 1976年, 明日香村岡 : 飛鳥京から1枚。 1976年, 鈴鹿市加佐登町 : 北野古墳から1枚。 1986年, 明日香村飛鳥 : 石神遺跡から1枚。 1985年, 橿原市四条町 : 藤原京左京六条三坊から1枚。周囲の削り取り有。 1987年, 大津市瀬田 : 唐橋遺跡から1枚。 1988年, 守山市赤野井町 : 赤野井湾南遺跡から1枚。 1988年, 栗東町安養寺 : 狐塚遺跡から1枚。 1994年, 桜井市谷 : 谷遺跡から1枚。切断片。 1995年, 甲良町尼子出屋敷 : 尼子西遺跡から1枚。 1994年, 京都市左京区北白川 : 小倉別当町遺跡から1枚。 1997年, 奈良市 : 平城京右京二条三坊四坪から1枚。 1998年, 明日香村 : 富本銭が出土した飛鳥池遺跡から1枚分の切断片6片。 2004年, 栗東町 : 霊仙寺遺跡から1枚。切断片。
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