ふじわら‐きょう〔ふぢはらキヤウ〕【藤原京】
藤原京 (ふじわらきょう)
藤原京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 09:13 UTC 版)
藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城[1]。壬申の乱により即位した天武天皇の計画により日本史上で初めて唐風の条坊制が用いられた。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。
注釈
- ^ 持統天皇6年正月12日(692年2月4日)条。
- ^ 『万葉集』巻第一 和銅3年の題詞に「藤原京」の名が現れるが、後世に付加されたものという説が有力である[2]。
- ^ 『日本書紀』持統天皇4年10月(690年11月)条「壬申に、高市皇子、藤原(ふぢはら)の宮地(みやどころ)を観(みそなほ)す。公卿百寮(まへつきみつかさつかさおほみ)従(とも)なり」とあり、同年12月(691年1月)の条に「辛酉に、天皇、藤原に幸して宮地を観す。公卿百寮、皆従なり」。持統天皇8年12月(695年1月)条「藤原宮(ふじわらのみや)に遷(うつ)り居(おは)します」
- ^ 藤原京に先立つ倭京については諸説があるが、飛鳥宮周辺の施設を含んで藤原京が建設されたため、まだ飛鳥宮が置かれていた時代に遷宮以前の藤原京に関連する諸施設、諸制度に「京」の名を冠して呼んでいた可能性が指摘されている。
- ^ 一説に12月6日(694年12月30日)昼前に遷行したとされる。
- ^ 『続日本紀』には和銅3年(710年)の朝賀の軍事行進が“朱雀路”で行われたとする記述からも、整備された同一幅の規格を持つ大路を通す意図が希薄であった可能性がある[9]。
出典
- ^ a b 浅井建爾 2001, p. 142.
- ^ a b c d e 千田&金子 2000, pp. 268–286.
- ^ 亀田博『日韓古代宮都の研究』(学生社、 2000年) ISBN 4-311-30473-0 pp.134-137.
- ^ a b 渡辺 2001, pp. 28–36.
- ^ a b 世界大百科事典 第2版『藤原宮』
- ^ a b 文化庁 2015, pp. 209–212.
- ^ a b 奈良文化財研究所『木簡:古代からの便り』(岩波書店、 2020年) ISBN 978-4-00-025325-3 pp.33-38.
- ^ a b 網伸也 2011, pp. 28–35.
- ^ 網伸也 2011, pp. 31–32.
- ^ "奈良・藤原宮大極殿の基壇の規模判明 奈文研調査"(産経新聞、2016年6月29日記事)。
- ^ 奈良国立文化財研究所『飛鳥・藤原宮発掘調査概報 26』奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部,1996年.
- ^ 国土交通省・歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区指定状況
- ^ “藤原宮跡花園の紹介”. 橿原市 世界遺産登録推進課. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “菜の花(藤原宮跡花園 春ゾーン)”. 橿原市 世界遺産登録推進課. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “キバナコスモス(藤原宮跡花園 夏ゾーン)”. 橿原市 世界遺産登録推進課. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “ハナハス(藤原宮跡花園 蓮ゾーン)”. 世界遺産登録推進課. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “コスモス(藤原宮跡花園 秋ゾーン)”. 橿原市. 2023年11月4日閲覧。
- ^ 井上信正「大宰府の街区割りと街区成立についての予察」(『条里制古代都市研究』Ⅰ、2001年)
- ^ “「大宰府の条坊」新説紹介 九歴で史跡発掘50年特別展”. 西日本新聞. 2018年5月3日閲覧。
- ^ 井上信正「大宰府条坊の成立」(『 考古学ジャーナル』 588号、2009年)
- ^ a b “藤原宮跡 / 史跡名勝天然記念物”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2023年11月4日閲覧。
- ^ “かしはらしコミュニティバスのご案内”. 橿原市公式ホームページ(かしはらプラス). 2020年5月28日閲覧。
藤原京
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「近代以前の日本の都市人口統計」の記事における「藤原京」の解説
慶雲元年(704年)に藤原京に住む百姓1505烟へ布を賜ったとの記述が『続日本紀』にあるが、岸俊男は藤原京を12条8坊384町と考え、1505烟という数字は在地住民と京内に新たに宅地班給を受けた官人戸数(大宝元年(701年)の五位以上の官人119名、六位以下の官人推定676名)の合計であると仮定し、1家6.2人または1郷戸16.4人(天平5年(733年)の平城京の『右京計帳』断簡による数字)として、藤原京の人口を1万~3万人と推定した。
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