出土した遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 05:00 UTC 版)
出土した遺物の中核を占めるものは、かつて橿原式と呼ばれたものを中心とした晩期の土器である。三叉文の刳り(えぐり)込みにとって浮き彫りした木葉文の表出を基本として、更に上下に重畳させて木葉文が対向する七宝文風の文様を描く特徴を有するのが橿原式文様であり、ほとんどが浅鉢に施文される。 かつての橿原式土器は滋賀里遺跡において編年された滋賀里ⅡおよびⅢに該当する。又、橿原遺跡からは東北地方系統の土器が数多く出土していることが特に注意されている。橿原遺跡から出土する同系統の土器と考えられるのは、 橿原遺跡からは東北系統以外にも関東・東海地方の影響が見られる土器が出土しているほか、瀬戸内・山陰・九州地方の土器に類似する文様をもったものも少量ではあるが含まれている。その一方で橿原式文様をもった土器は、北は関東や東北地方の南部まで、南は九州地方中部でも確認され、広範な分布を有している。 このほか橿原遺跡から出土した土器以外の遺物には多種多様なものが見られる。生産活動に使用された磨製および打製石斧、削器、石鏃、石錘、敲石、凹石などと共に、平行刻線や格子刻線、弧線文を有する石刀、石剣、石棒など信仰や呪術に関わる石器類が多く出土している。
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