「馬多時」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:06 UTC 版)
「乱中日記」に記述のある討ち取られた日本の将“馬多時”は、この海戦で戦死した大名の来島通総と解されていることが多いが、戦死者として日本側の記録に名のある“菅野又四郎正陰”とする説がある。“馬多時”の朝鮮語音はMatashiであり又四と同音という。なお、“菅野”とあるのは誤記であり、正しくは船手衆として加わった大名であり淡路水軍を率いた菅平右衛門(菅達長)の子息である“菅又四郎(菅正陰)”のことである。
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