日本側の記録とは? わかりやすく解説

日本側の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/09 21:14 UTC 版)

チルボン島事件」の記事における「日本側の記録」の解説

ミリ環礁駐屯していた第66警備隊は、本事件に関する詳しい記録取っておらず、関係する資料残っていないとされるまた、66警備隊司令志賀成大佐も、部下起こした米兵搭乗員捕虜処刑責任取って敗戦後収容先のグアム自決しており、真相不明である。また、事件日本人当事者証言現在のところ存在しない。 ただ、韓国の『日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会』による発表内容において、、1952年日本第二復員省 職員作成した旧海軍軍属身上調査表』で、事件経緯詳しく記録されているのを発見した発表し身上調査票には、当時反乱鎮圧参加した中川清人海軍大尉証言記録されていると主張している。

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日本側の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 02:59 UTC 版)

応永の外寇」の記事における「日本側の記録」の解説

日本側の同時代資料には少弐満貞注進状がある。その内容は、以下のようなものであった。 「蒙古舟」の先陣五百余艘が対馬津に襲来し少弐満貞代官右衛門以下七百余騎が参陣し、度々合戦し、6月26日終日戦い異国者ども全て敗れその場大半討ち死にしたり、召し捕らえた異国大将二名生け捕りにし、その白状から、今回襲来した五百余艘は全て高麗国朝鮮)の軍勢であること、唐船2万余艘が6月6日日本到着する予定であったが、大風のために唐船到着せず過半沈没した合戦中に奇瑞起こり、また安楽寺太宰府天満宮)でも怪異奇瑞起こった対馬侵攻実施されたのは、ちょうど幕府明との関係悪化していた時期であった。『看聞日記』の5月23日記載には、「大唐国・南蛮高麗等、日本責め来るべしと高麗より告げる。室町殿仰天す」とあるが、8月7日少弐満貞対馬に「蒙古先陣五百余艘」と注進したために、幕府朝廷三度目元寇かと恐れ対馬侵攻をその前兆考え向きもあった。室町幕府この年大蔵経求請を名目日本国王使・無涯亮倪一行朝鮮派遣した翌年朝鮮からは回礼使・宋希璟一行来日する京都着いた宋希璟は、初め将軍足利義持冷遇された。その原因が、応永の外寇にあると知った希璟は、陳外郎禅僧を介して外寇原因倭寇にあることを力説し義持理解を得るに至った。こうして日朝関係国家レベルでは和解した。 また8月13日の『看聞日記』は7月15日付けの「探題持範注進状」として、以下の内容を紹介している。 6月20日、「蒙古高麗」の軍勢500余艘が対馬島押し寄せ対馬打ち取ったので、「探題持範」と太宰小弐(満貞)の軍勢がすぐに対馬の「浦々泊々の舟着」で日夜合戦したが、苦戦をしたので九カ国(九州)の軍勢動員し6月26日合戦をし、異国軍兵三千七百余人打ち取り海上に浮かぶ敵舟千三百余艘は、海賊命じて攻撃させ、海に沈む者が甚だ多かった雨風発生大将女人蒙古の舟に乗り移り軍兵三百余人を手で海中投げ入れるなど、合戦最中奇特神変多く起こった6月27日異国の残る兵はみな引き退き7月2日には全ての敵舟が退散したが、これは「神明威力」によるものである。 300年後編纂された『宗氏家譜』(1719年)によると、対馬側の反撃により糠岳で朝鮮左軍大敗する等、苦戦強いられた朝鮮軍撤退したこの際日本側の戦死者123人、朝鮮兵の死者2500余りとしており、探題持範注進状の3700人に近い数字となっている。

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