日本への売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:16 UTC 版)
「スカンジナビア (客船)」の記事における「日本への売却」の解説
1969年、就航40年以上を経過したステラ・ポラリスの処置についてクリッパーライン社は、クルーズ客船としての維持修復に多額の投資を続けるより売却を選択した。当時の日本が高度経済成長を迎えるなか、積極的にリゾート開発を行っていたコクドに沿って、傘下企業の伊豆箱根鉄道が沿線リゾート開発目的での買収によるホテルシップ構想を表明、5億円で売却されることになった。なお、契約条項に「ステラ・ポラリスの継続使用は認めない」という内容が含まれていたため、名称を「フローティングホテル・スカンジナビア」に変更し、静岡県沼津市西浦木負767番地沖に投錨、1970年7月25日に営業を開始した。 コクドは当初、スカンジナビアを中心に水族館などを併設した総合レジャー施設(今日で言うテーマパーク)を建設する構想があったが頓挫した。既に長井崎を挟み2kmほど離れて存在する三津天然水族館(現在の伊豆・三津シーパラダイス)とは遊覧船で結ばれてはいたものの、観光地としての連続性に欠けるものとなり、その価値はやや低下することとなったが、グループ企業にプリンスホテルを持つ強みを生かしたホテルのサービスノウハウや、レストラン部門の充実により数多くの利用客に親しまれ、リゾート地としての人気を長年にわたり維持していた。 こうした評価と実績については、富士山を背景にしたスカンジナビア号の気品ある景観の美しさが評判を呼び、ホテルとしての付加価値・魅力にも繋がった事を挙げなければならない(ピークの1990年度には、船内のレストランだけで年間約6万人が利用し、約10億3000万円の売り上げを記録した)。
※この「日本への売却」の解説は、「スカンジナビア (客船)」の解説の一部です。
「日本への売却」を含む「スカンジナビア (客船)」の記事については、「スカンジナビア (客船)」の概要を参照ください。
日本への売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/31 05:19 UTC 版)
1863年、ビーグルは香港で薩摩藩に売却された。薩摩藩は乾行と命名した。その後帝国海軍に編入され練習艦として使用され、1889年に解体された。 但し、日本側の記録では、1864年で英国船ストークを購入したとなっているため、ビーグルはストークと改名、薩摩藩が購入したとしている。また、造船所がロンドンではなくリヴァプール、竣工が1854年ではなく1859年などの相違がある。
※この「日本への売却」の解説は、「ビーグル (砲艦)」の解説の一部です。
「日本への売却」を含む「ビーグル (砲艦)」の記事については、「ビーグル (砲艦)」の概要を参照ください。
- 日本への売却のページへのリンク