廃金属の日本への売却疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 20:51 UTC 版)
「IRT6番街線」の記事における「廃金属の日本への売却疑惑」の解説
6番街線の高架橋が解体された1939年と言えばドイツのポーランド侵攻に端を発する第二次世界大戦が勃発した年であり、アメリカ国民は解体された高架橋の廃金属が日本の手に渡るのではないかとの懸念を示していた。このような噂は広がり、第二次世界大戦中にはこの廃金属によって製造した武器で日本がアメリカを攻撃していると信じる人も多かった。E・E・カミングスはこの話を皮肉的に表した詩『plato told.』を1944年に発表している。 6番街線から出た廃金属約20,000トンは輸出事業を行っていた西海岸のディーラーに売却された。ニューヨーク・タイムズは1938年12月に、例え金属が直接日本へ届かずとも中国に対して売却される可能性があり、中国の市場に並んだ廃金属を日本が購入する危険性があると指摘した。 1942年のニューヨーク市財政評価委員会の会議においてマンハッタン区長のスタンレー・M・アイザックスは廃金属が日本に売られているという噂を否定した。アイザックス区長は1938年に高架橋の解体契約の際に「解体によって生じた廃金属類は1オンスたりとも日本を含む他国に輸出しない」という旨の規定を行っていたと述べた。 しかし、この発表を受けてもなお日本への売却疑惑は晴れず、廃金属の日本への売却を継続しているという噂が続いていた。これを受け1961年、解体工事に携わったHarris Structural Steel Companyの弁護士がシンジケートコラムニストのジョージ・ソコルスキーに、廃金属の日本への売却を継続している事実は無いと語った。弁護士は解体により生じた廃金属は直接的あるいは間接的に日本に届いたという話は偽りであり、実際は全くもって日本へは届いていないと述べた。
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