廃駅の処理・再利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:30 UTC 版)
廃止後の駅設備は、防犯や事故対策・再開発等・跡地譲渡などの関係から速やかに解体・撤去される場合が多い。線路跡に道路が建設されたり隣接地の道路が拡幅される場合、駅跡は旧線路区間も諸共にその用に供され、わずかに交差点やバス停の道幅などにしか駅跡の痕跡をとどめないことは珍しいものではない。また、鉄道廃止後に都市開発や圃場整備に伴う区画整理などが行われていれば、線路跡も諸共に鉄道営業時代の痕跡が全く見出せないこともある。 逆に駅廃止後に設備の一部が転用されて残る例もあり、この場合には事務所や店舗、バス営業所や待合所、地域の集会所などに用いられる。路線の廃止で駅が廃止になった場合には、中湧別駅・輪島駅や大社駅などのように鉄道記念館やモニュメントとして再整備される例もある。これらの一方で、特に過疎地では跡地転用の用途が無かったり、鉄道路線を経営していた会社に線路を撤去する経済力が無いなどの事情から、撤去されないまま長らく放置され廃墟と化す例もある。 地下区間の廃駅は撤去にかかる費用が高額となる一方で、換気口や非常時の避難経路、保線用の資材の搬入口などへの転用には都合が良いことから、駅施設としての案内や装飾類やプラットホームの先端部の撤去だけを行い、その後は鉄道会社の業務用区画としてそのまま残されることが多い。京成電鉄博物館動物園駅跡や京王電鉄(京王線)初台駅跡のように、列車内から目視できることもある。 駅舎等の建築物が撤去された後も、土盛のプラットホームは姿を留めている場合が少なくない。しかし、路線が存続している場合は列車運行の安全確保のため、線路に近い部分は壊される。これは、プラットホームは建築限界上、特別に線路に近接して設けられており、JR在来線では軌道中心から1485mm以上であれば設置可能だが、それ以外の一般構造物の場合1524mm以上離す必要があり、駅廃止後には速やかに撤去しなければならないためである。 完全に撤去された駅設備(東武矢板線柄堀駅跡) 線路部のサイクリングロードへの転用(JR北海道天北線飛行場前駅跡) 廃線跡のホームを模したモニュメント(東野鉄道大高前駅跡) 廃駅後も鉄道公園として保存される吉ヶ原駅。保管車両の走行も行われる。 サイクリングロードに転用された廃線と、休憩所になった駅舎(天瀬駅)
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