日本への原爆投下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:13 UTC 版)
詳細は「日本への原子爆弾投下」を参照 「広島市への原子爆弾投下」および「長崎市への原子爆弾投下」も参照 世界初の原子爆弾の実使用は、1945年8月6日午前8時15分に広島に対して濃縮ウラン型原爆リトルボーイのB-29(エノラ・ゲイ)からの投下で実行された。ついで1945年8月9日午前11時2分には長崎に対してプルトニウム爆縮型原爆ファットマンがB-29(ボックスカー)から投下された。 原爆投下により両都市は一瞬にして壊滅し、数十万人が無差別に殺害された。原爆炸裂によるキノコ雲の頂点は17kmと成層圏に達し、雲からは放射性物質を含む黒い雨が30kmの範囲に降り注ぎ、被曝の人的被害を拡大した。 原爆の成功に軍当局は喜んだが、原爆使用の実体が明らかになってくると世界は震撼し、原爆開発に関係した科学者からも原爆反対の声があがっていくことになる。 核の力によるアメリカの単独覇権は想定通りとならなかった。予想以上に早く、1949年にソ連が原爆実験に成功したからである。これ以降、世界は核の均衡の上の冷戦の時代に突入する。 なお、ソ連の原爆開発には、CFR(外交問題評議会)メンバーであり、ルーズベルト政権の商務長官兼任大統領主席補佐官であったハリー・ホプキンスが、意図的にソ連に原爆技術を移転したという、レーシー・ジョーダン(en:George Racey Jordan)少佐のアメリカ議会委員会での宣誓供述がある。
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