マーク・オリファントとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マーク・オリファントの意味・解説 

マーク・オリファント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 09:37 UTC 版)

Sir
Mark Oliphant
マーク・オリファント
マーク・オリファント(1939)
生誕 Marcus Laurence Elwin Oliphant
(1901-10-08) 1901年10月8日
オーストラリア アデレード
死没 2000年7月14日(2000-07-14)(98歳没)
オーストラリア キャンベラ
国籍 オーストラリア
研究機関 キャヴェンディッシュ研究所
バークレー研究所
バーミンガム大学
オーストラリア国立大学
出身校 アデレード大学
トリニティ・カレッジ
博士論文 The Neutralization of Positive Ions at Metal Surfaces, and the Emission of Secondary Electrons (1929)
博士課程
指導教員
アーネスト・ラザフォード
主な業績 ヘリウム3の発見
三重水素の発見
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

サー・マーク・オリファント(Sir Marcus 'Mark' Laurence Elwin Oliphant1901年10月8日 - 2000年7月14日)は、オーストラリアアデレード出身の物理学者。1934年にパウル・ハルテックと共に水素の核融合を発見し、同時に生成されるヘリウム3と三重水素も発見した[1][2]。また、第二次世界大戦中に、レーダー改良と原子爆弾開発の研究に貢献したことで知られている[3]

経歴

アデレードの近郊で生れ[1]アデレード大学で学び、1922年に同大学の物理学科を成績優秀で卒業した[4]。大学卒業後も、助手として同大学に所属し、勤務の合間に研究を行っていた。1925年にアーネスト・ラザフォードの講演をきいて、ラザフォードと一緒に働きたいと思い、1927年にイギリスにあるキャヴェンディッシュ研究所に入所。その希望をかなえた[4]

1932年にキャヴェンディッシュ研究所では、初めて原子核分裂の研究が行われる[4]。そして、1934年にマーク・オリファントは、重水素の核融合を発見する。また、核融合の生成物として、ヘリウム3、三重水素も発見した[2]。これは後に水素爆弾の基礎となった[4]

この後、同じくイギリスにあるバーミンガム大学において、1940年に短波長レーダーと共振空洞型マグネトロンを開発する[3]。これは、航空機搭載用レーダー開発の研究であり[3]、当時猛威を振るっていたドイツ潜水艦の探知に用いられている[4]また、その後、ロバート・ワトソン=ワットによって開発されたレーダーの改良を行うバークレー研究所に派遣された。[要出典]

原爆の開発と推進

第二次世界大戦中、オリファントはアメリカ政府に対し原子爆弾の使用を強く進めた。そして、マンハッタン計画の設立に大きく貢献し[4]、1943年には、原子爆弾の開発チームに加わる[4]アーネスト・ローレンス[要出典]ウラン235の精製(濃縮)の研究を行った[2]長崎広島に原爆が使用されると、オリファントは後に、「爆弾がうまく作動したことにある種の誇りを感じる一方で、それが人間に与えた影響には絶望した」とのべている[4]

1945年にイギリスに戻り、バーミンガム大学の教授になった。核兵器の廃絶をめざすパグウォッシュ会議に参加している[4]

1950年に母国のオーストラリアに帰国し、新設されたオーストラリア国立大学の物理科学研究センターの初代所長に就任した。ここで当時、世界最大規模(500メガジュール)のホモポーラ発電機の設計と建設を主導している。この装置は、大規模な電磁加速砲(レールガン)を駆動するために用いられ、科学実験装置として活用された[4]。また、粒子加速器の建設も行っている[1]

さらにオリファントは、オーストラリアが科学の分野において「声を持たず、国際的な発言力も持たない」ことを痛感し、1954年にオーストラリア科学アカデミーを創設し、初代会長となる。これらの功績を残した後、大学教授を引退し、1971年から1976年まで南オーストラリア州総督を務めた[4]。2000年7月に98歳で死去した。

栄典

この他、1937年に王立協会フェローに選出され、同協会から1943年ヒューズ・メダル、1955年ベーカリアン・メダルを受賞した。1948年には、ファラデー・メダルを受賞している。

出典

  1. ^ a b c 第24 回核構造・崩壊データ評価者ネットワーク会議 p.94 日本原子力研究開発機構 小浦寛之 著
  2. ^ a b c History of Fusion”. EUROfusion. 2025年9月26日閲覧。
  3. ^ a b c Marcus Laurence Elwin Oliphant 1901-2000 | Australian Academy of Science”. 2025年9月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k Sir Marcus (Mark) Laurence Elwin Oliphant (1901-2000) University Library, The University of ADELAIDE
  5. ^ "No. 41590". The London Gazette (1st supplement). 30 December 1958. p. 38.
  6. ^ Australian Honours Search Facility”. honours.pmc.gov.au. 2025年9月26日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マーク・オリファント」の関連用語

マーク・オリファントのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マーク・オリファントのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマーク・オリファント (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS