ノーマン・ラムゼーとは? わかりやすく解説

ノーマン・ラムゼー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/24 02:07 UTC 版)

Norman Foster Ramsey Jr.
ノーマン・ラムゼーJr.
ノーマン・ラムゼー
生誕 (1915-08-27) 1915年8月27日
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
死没 2011年11月4日(2011-11-04)(96歳没)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ミドルセックス郡ウェイランド
国籍 アメリカ合衆国
研究分野 物性物理学
研究機関 コロンビア大学
ハーバード大学
出身校 コロンビア大学
ケンブリッジ大学
博士課程
指導教員
イジドール・イザーク・ラービ
博士課程
指導学生
デービッド・ワインランド
ダニエル・クレップナー 
主な業績 ラムゼー共鳴
主な受賞歴 IEEE栄誉賞(1984)
ノーベル物理学賞(1989)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者 

受賞年: 1989年
受賞部門: ノーベル物理学賞
受賞理由: 『ラムゼー共鳴法の開発、およびその水素メーザーや原子時計への応用 』

ノーマン・フォスター・ラムゼー・ジュニアNorman Foster Ramsey, Jr., 1915年8月27日 - 2011年11月4日)は、アメリカ人物理学者原子時計に必要なラムゼー共鳴法の開発、およびその水素メーザーへの応用によって、ハンス・デーメルトヴォルフガング・パウルとともに1989年のノーベル物理学賞を受賞した。

経歴

ラムゼー (左)、Francis Perrin (中央)、 ロバート・ウッドロウ・ウィルソン (右), 1970年

ワシントンD.C.生まれ。父の米軍での軍務の関係で、一家はパリを含む欧米各地に頻繁に転居する生活を送った。1935年にコロンビア大学を卒業後、1940年に同大学院イジドール・イザーク・ラービの指導下で、物理学のPh.D.を取得し、1947年にハーバード大学に移るまで在籍した。コロンビアの学部時代には、モーリス・ゴールドハーバー(Maurice Goldhaber)に学び、交換留学制度(ケレット・スカラーとして)でケンブリッジ大学にも留学した。ワシントンD.C.のカーネギー研究所研究員として中性子-陽子散乱およびヘリウム原子核による中性子散乱を研究した。第二次世界大戦中は、MIT放射線研究所でレーダー研究に従事し、1943年からはロスアラモスで原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加した。終戦後はコロンビアの教授に就任した。

1947年から1986年に退職するまでの約40年にわたり、ハーバード大学の物理学の教授に就いたほか、NATO事務総長の科学顧問、アメリカ原子力委員会などの機関や政府の要職を務めたほか、アメリカ合衆国エネルギー省傘下のブルックヘブン国立研究所フェルミ国立加速器研究所の設立に貢献した。

2011年11月4日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ミドルセックス郡にある介護施設で死去。96歳没[1]

受賞歴

出典

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