分子ビーム研究室
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「イジドール・イザーク・ラービ」の記事における「分子ビーム研究室」の解説
1929年3月26日、コロンビア大学から講師の依頼を受けた。年俸は3000ドルであった。コロンビア大学の物理学科長George B. Pegramは統計力学と量子力学の新たな科目の上級コースを教える理論物理学者を探しており、ハンゼンベルクがラービを推薦していた。このときヘレンは妊娠中であったため、ラービは定職が必要であり、この仕事はニューヨークでするものだった。彼はこれを受け入れ、8月にSS President Rooseveltでアメリカへ戻った。ラービはコロンビア大学で当時唯一のユダヤ人の教員となった。 ラービは教師としては面白みに欠けた。レオン・レーダーマンは、学生は講義の後に図書館へ向かいラービが話していたことを解決しようとしていたことを回想している。Irving Kaplanはラービとハロルド・ユーリーを「これまでで最悪の教師」と評している。ノーマン・ラムゼーがラービの講義を「非常につまらない」と思う一方、William Nierenbergはラービを「単にひどい講師」と感じていた。講師としての欠点があったにもかかわらず、その影響は大きかった。多くの学生に物理学のキャリアに進むことを促し、その中には有名になったものもいる。 長女のHelen Elizabethが1929年9月に誕生した。次女Margaret Joellaは1934年に生まれた。教職と家族に挟まれ研究のための時間はほとんどなくコロンビア大学に勤めた最初の年は論文を発表しなかったが、結果的に助教授に昇進した。1937年には教授となった。 1931年、粒子ビーム実験に戻った。グレゴリー・ブライトと協力してブライト・ラービ方程式(英語版)を開発し、原子核の特性を確認するためにシュテルン=ゲルラッハの実験を修正できると予測した。次のステップはこれをすることであった。Victor W. Cohenの助けを借りて、コロンビア大学に分子ビーム装置を造った。彼らのアイデアは強い磁場の代わりに弱い磁場を使うことであり、これによりナトリウムの核スピンを検出することを期待した。実験を行うと4つのビームレットが見つかりそこから3⁄2の核スピンが推定された。 ラービの分子ビーム研究室は、博士号取得に向けリチウムを研究した大学院生Sidney Millmanなど人々をひきつけ始めた。他にはJerrold Zachariasがおり、彼はナトリウムの核は理解するのが難しすぎると考え、もっとも単純な元素である水素の研究を提案した。この重水素同位体は、1931年にコロンビア大学でユーリーによって発見されたばかりであった(ユーリーはこの研究により1934年にノーベル化学賞を受賞している)。ユーリーは重水と気体の重水素の両方を供給することができた。その単純さにもかかわらず、シュテルンのグループは水素が予測どおりに振舞わないことを観察していた。ユーリーは違う方向で援助した。彼は分子ビーム研究所に資金を提供するため賞金の半分をラービに渡した。分子ビーム研究所でキャリアを始めた他の科学者にはノーマン・ラムゼー、ジュリアン・シュウィンガー、Jerome Kellogg、ポリカプ・クッシュがいる。全員が男性であり、ラービは女性が物理学者になることができるとは考えていなかった。博士課程またはポスドク学生として女性がいたことは1度もなく、概して教授職の候補に女性がなることに反対した。 C. J. Gorterの提案で、チームは振動場を使用しようとした。これが核磁気共鳴法の基礎となった。1937年、ラービ、クッシュ、Millman、Zachariasはこれを使用して塩化リチウム、フッ化リチウム、二リチウムなどいくつかのリチウム化合物の磁気モーメントを分子ビームで測定した。この手法を水素に適用すると、陽子のモーメントは2.785±0.02核磁子であり、当時の理論で予測された1ではないことが分かった。重陽子のモーメントは0.855±0.006核磁子であった。これによりシュテルンのチームが見つけたものより正確な測定値が提供され、ラービのチームは1934年にこれを確認した。重陽子はスピンが整列した陽子と中性子で構成されているため、陽子の磁気モーメントを重陽子のものから引くことで中性子の磁気モーメントを推測することができたが、結果の値は0ではなく、陽子と反対の符合であった。これらのより正確な測定の奇妙なアーチファクトに基づき、ラービは重陽子は電気四極子モーメントを持つことを提案した。この発見は重陽子の物理的形状が対称ではないことを意味し、核子を結合させている核力の性質に関する価値ある洞察を得ることができた。分子ビーム磁気共鳴検出法の開発により、1944年にノーベル物理学賞を受賞した。
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