カルロ・ルビアとは? わかりやすく解説

カルロ・ルビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 08:58 UTC 版)

カルロ・ルビア
2012年
生誕 (1934-03-31) 1934年3月31日(91歳)
イタリア フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア
国籍 イタリア
研究分野 物理学
研究機関 CERN
ハーバード大学
出身校 ピサ高等師範学校
ピサ大学
コロンビア大学
主な業績 ウィークボソンの発見
主な受賞歴 ノーベル物理学賞1984年
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者
受賞年:1984年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:弱い相互作用を媒介する場の素粒子(ウィークボゾン)の発見を導いた巨大プロジェクトへの貢献

カルロ・ルビアCarlo Rubbia1934年3月31日 - )はイタリア物理学者。1984年のノーベル物理学賞受賞者。

経歴

ゴリツィア出身。ピサ高等師範学校で宇宙線の研究をした後、1957年にピサ大学を卒業、1958年頃に渡米しコロンビア大学ミューオンの実験に加わる。1960年頃、ヨーロッパに戻り、新設された欧州原子核研究機構(CERN)で弱い相互作用に関する実験を行った。1970年にハーバード大学の教授になったが、ヨーロッパとの間を行き来してCERNでの仕事を続けた。1976年に陽子と反陽子を同一のリング中で加速するSuper Proton Synchrotron (SPS)の製作を指導した。SPSは1981年から稼動し、1983年1月にUA1検出器でWボソンの生成されたことを発表した。2ヶ月後にはZボソンも観測された[1]

1984年、カルロ・ルビアはシモン・ファンデルメールとともに、ノーベル物理学賞を受賞した。史上、発見から受賞までが最も短いノーベル賞受賞となった。同年、王立協会外国人会員に選出、1985年には同協会からベーカリアン・メダル、1989年にはニューサウスウェールズ大学よりディラック・メダルを受賞。

1989年から1993年までCERNのジェネラルディレクターを務めた。

また、ルビアは加速器駆動未臨界炉(加速器で陽子を燃料にあてて中性子を発生させる原子炉)の構想を提案している。トリウムを燃料とするもので、本質的に暴走事故の恐れがないこと、放射性廃棄物半減期が短いことなどの特徴がある。

脚注

  1. ^ C・ロヴェッリ『すごい物理学講義』河出文庫、2019年、169頁。 

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カルロ・ルビア」の関連用語

カルロ・ルビアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カルロ・ルビアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカルロ・ルビア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS