大阪大空襲
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大阪大空襲(おおさかだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が実施した、大阪府大阪市を中心とする地域への空襲である。
- ^ 東大寺長老の筒井寛英は「二月堂から見ると生駒山をシルエットに、大阪の空が真っ赤に染まっていました」と記している(『誰も知らない東大寺』小学館、2006年)。このとき東大寺は修二会(お水取り)の期間中で、「お松明」は灯火管制のため扉を閉めて おこなわれていた。
- ^ 後述の毎日新聞記事によると、当時、大阪市の食糧倉庫として使用しており常時閉鎖されていた。
- ^ 後述の毎日新聞記事によると、難波駅から乗ったという証言は得られなかったという。
- ^ 村松が後に読売新聞に体験を語った記事がある[1]。
- ^ 資料が現存しない点について、「大交」の記事では「敗戦直後に戦争責任の追及を避けるため意図的に廃棄した」としている。
- ^ 公営交通研究所が1999年に刊行した『大阪大空襲と市営交通事業』に資料として収録。このほか、証言が記載された資料について、以下の大阪市立中央図書館レファレンス事例に紹介がある。
- ^ 後述の連続テレビ小説『ごちそうさん』ではこの説を採用しており、主人公の西門め以子が門の開場に難色を示す職員に「この地下鉄はうちの旦那が作ったんや」と言って説き伏せてむりやり開けさせている。
- ^ 「大交」の記事には3月13日の朝に大阪鉄道局長の佐藤栄作(後の首相)が大阪市電気局(後の交通局)局長に「今夜空襲のおそれ、要注意」と電話をかけていたという話(『続東区史』別巻(1979年)からの引用)が紹介されているが、送電指示との関連は不明である。
- ^ 列島リレードキュメント 空襲の夜 地下鉄は走った~大阪・大阪市 NHKアーカイブス
- ^ NONFIX 千の風プロジェクト 大阪大空襲の夜 地下鉄は走ったのか。大空襲のあった地元の関西テレビでは2008年1月20日深夜に放送。
- ^ 「大交」の記事によると、午前3時30分頃にNHKラジオで「警報解除後、電車を運転するので、防空要員は復旧に当たってほしい」と3度放送があったという(「鉄道ピクトリアル」1965年8月号掲載の「大阪市路面電車戦災の記」(宮本政幸)からの引用)。
- ^ 「大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線」朝日新聞大阪版2009年12月26日
- ^ “京橋大空襲から77年 「2度と繰り返してはいけない」遺族らが追悼”. 毎日新聞 (2022年8月14日). 2022年8月15日閲覧。
- ^ [2] 妙見閣寺公式サイト
- ^ “終戦前日の悲劇、後世に 大阪・京橋駅空襲犠牲者悼む”. 産経新聞. (2020年8月14日) 2020年8月14日閲覧。
- ^ a b 2013年8月17日23時NHKEテレ放送ETV特集「届かぬ訴え~空襲被害者たちの戦後~」
- ^ 大阪大空襲の被災者ら、賠償求め集団提訴4府県18人 朝日新聞 2008年12月8日
- ^ 空襲被災者らの請求棄却 大阪など5空襲訴訟で地裁判決 朝日新聞 2011年12月7日
- ^ 被災者ら敗訴確定=大阪大空襲訴訟-最高裁 時事ドットコム2014年9月16日
- ^ この判決はスゴイ! 大阪空襲訴訟 大阪空襲訴訟弁護団2014年10月
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