戦災での統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:30 UTC 版)
「大阪市立中大江小学校」の記事における「戦災での統合」の解説
1945年の大阪大空襲では、校区に大きな被害を受けた。中大江東国民学校は同年3月13日の第一次大阪大空襲で半焼し、また中大江国民学校は同年6月7日の第三次大阪大空襲で半焼している。 北大江国民学校では校舎被災は免れたものの、港区市岡の校舎を全焼した大阪市立市岡商業学校(現在の大阪市立市岡商業高等学校)が、北大江校の校舎を仮校舎として使用するようになった。 終戦後の1945年10月には集団疎開から児童が帰阪し、授業が再開された。地域の被災や北大江校の市岡商業学校への校舎転用により、中大江東・北大江の両校は中大江国民学校の校舎を間借りして授業を実施した。 翌1946年には中大江東・北大江両校の尋常科の児童を中大江校に統合した。 北大江国民学校は高等科単独の国民学校に改編された。市岡商業学校が別の場所に仮校舎を移転させたことで、元の場所で授業を実施した。
※この「戦災での統合」の解説は、「大阪市立中大江小学校」の解説の一部です。
「戦災での統合」を含む「大阪市立中大江小学校」の記事については、「大阪市立中大江小学校」の概要を参照ください。
- 戦災での統合のページへのリンク