市岡商業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:46 UTC 版)
「大阪市立市岡商業高等学校」の記事における「市岡商業学校」の解説
大阪市会は1918年12月23日、大阪市立第二商業学校の設置を議決した。準備期間を経て1919年4月より開校し、同年4月25日に北区玉江町2丁目(現在の北区中之島5丁目)・大阪市立実業学校を仮校舎として授業を開始した。5年制で男子のみの募集だった。 1920年4月には西区市岡705番地(現在の港区磯路3丁目26番・27番付近)に校舎が竣工し移転している。1921年6月1日付で大阪市立市岡商業学校と改称した。 1934年9月21日の室戸台風では校舎が床上浸水する被害を受けたが、校内にいた教職員・生徒への人的被害はなかった。 太平洋戦争に伴い、1944年には戦時措置として工業学校へ転換している。また1944年6月1日より勤労動員が実施され、4・5年の全生徒が日立造船築港工場に動員されている。 1945年3月13日の大阪大空襲では、校舎が全焼する被害を受けた。被災直後より港区・東田中国民学校に仮校舎を設置した。仮校舎は1945年9月1日に西区・九条東国民学校(現在の大阪市立九条東小学校)に移転したのち、1945年12月1日にはさらに東区・北大江国民学校に移転している。 1946年には商業学校に復帰し、同年4月1日より西区・明治国民学校(当時休校中。現在の大阪市立明治小学校)に仮校舎を移転している。
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