旧制泉尾工業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 15:31 UTC 版)
「大阪府立泉尾工業高等学校」の記事における「旧制泉尾工業学校」の解説
1921年9月13日、5年制の大阪市立泉尾工業学校の設立が認可された。 大阪市立としては2番目に設置された工業学校となる。当時の大阪市の方針により、既存の大阪市立工業学校(現在の大阪府立都島工業高等学校)が機械・電気など物理系を中心にしていたことに対して、化学系を中心とする工業学校として臨海部に設置された。 1921年9月の設置認可当初には紡織科、色染科、窯業科の3科をおき、1922年3月には応用化学科を増設している。 1922年4月に西区市岡(現在の港区磯路3丁目付近)・大阪市立市岡商業学校(のちの大阪市立市岡商業高等学校)を仮校舎として授業を開始した。1922年10月20日には現在地に校舎が完成して移転している。この日を創立記念日としている。 1923年12月には大阪市立工業学校(現在の大阪府立都島工業高等学校)より応用化学科を移管し、在校生を編入している。 太平洋戦争に伴う戦時体制の影響で、1944年には4年制への短縮と学科の再編が実施されている。終戦直後の1946年には5年制への復帰が実施された。また1946年には、廃校となった大阪市立酉島工業学校の応用化学科を合併している。
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