戦時体制とは? わかりやすく解説

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せんじ‐たいせい【戦時体制】

読み方:せんじたいせい

戦争遂行のために統制され国内の非常体制。


戦時体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 09:29 UTC 版)

戦時体制(せんじたいせい)とは、近現代の戦争において、国家が戦争遂行を最優先の目標として、その達成のために各種の政策を行うことをいう。対立概念は平時体制(へいじたいせい)。


  1. ^ 山上正太郎「革命戦争」日本大百科全書(ニッポニカ)
  2. ^ 野口悠紀雄『1940年体制-さらば戦時経済』東洋経済新報社、1995年
  3. ^ 『概説日本思想史』 畑中健二


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戦時体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:32 UTC 版)

橘丸」の記事における「戦時体制」の解説

橘丸」は1938年昭和13年6月27日付で日本海軍に徴傭され、2日後6月29日呉鎮守府籍となる。呉海軍工廠において特設病院船としての改装工事を受けるが、その塗装戦時国際法規定とは異なり、明灰色赤十字標識描いただけのものだった改装後はただちに揚子江へ赴き、傷病兵収容従事する。しかし、7月29日鄱陽湖にて中華民国軍機7機による空襲を受ける。爆弾自体116ポンド(約50キロ爆弾であったが、うち2発が「橘丸」への至近弾となり、左舷部の破口からの浸水止めきれず浅瀬座礁の後横転してしまった。「橘丸」は9月入って浮揚し、江南造船所(英語版)で仮修理の後、三菱神戸造船所本格的な修理入ったその間11月8日日本海軍籍から除かれ、翌1939年昭和14年3月2日解傭された。 修理後解傭された「橘丸」は東京湾汽船復帰するが、依然として伊豆方面観光事情芳しくなかったので日清汽船傭船され、上海 - 南京 - 漢口方面にて運航された。しかし、12月7日に「丸」が伊豆大島乳が崎海岸座礁沈没したため、大島航路復帰する事となった。もっとも、復帰したとはいえ大島ブーム」は沈静化しており、代わりに南房総への海水浴輸送鳥羽港まで「お伊勢参り」用のチャーター便としても活動した太平洋戦争勃発後の1942年昭和17年5月船舶運営会組織され、「橘丸」も例外なく所属するになったが、依然として大島航路就航していた。 「橘丸事件」を参照 1943年昭和18年3月、「橘丸」は日本陸軍に徴傭される。約半年輸送船として行動の後、昭南シンガポール停泊中の10月7日付で陸軍病院船として再徴傭され、10月9日には中立国経由連合国側通告された。陸軍病院船に転じた橘丸」はニューギニア方面進出するが、昭和19年3月14日南緯0214東経12437分 / 南緯2.233度 東経124.617度 / -2.233; 124.617の地点航行中にB-24の爆撃機銃掃射を受ける。その後は、1945年昭和20年8月いわゆる橘丸事件」で拿捕されるまでフィリピンハルマヘラ島方面などで行動した

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戦時体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:40 UTC 版)

東京電燈」の記事における「戦時体制」の解説

満州事変翌年には上海停戦協定締結されたものの、五・一五事件二・二六事件日中戦争と軍色が強くなるにつれ、電力事業国家による統制望まれるようになった1938年昭和13年)には「国家総動員法」に併せて電力管理法」、「日本発送電株式会社法」、「電力管理に伴う社債理に関す法律案」、「電気事業法」が制定された。また創立50周年記念し商工大臣許可得て同社寄付金により財団法人東電電気実験所設立現在の公益法人東電記念財団東電記念科学技術研究所)。川崎実験工場研究事業開始した1939年昭和14年)には国策会社日本発送電株式会社設立同年8月には「配電統制令」が発布され東京電燈始めとした電力会社日本発送電関連する関東配電株式会社など9配電会社統合された。東京電燈自体は9配電会社設立に伴い1942年昭和17年4月1日をもって関東配電吸収された。

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戦時体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:25 UTC 版)

京阪神緩行線」の記事における「戦時体制」の解説

京都駅まで電化開業したときには、すでに日中戦争始まっていた。このころから、戦略物資中心とした統制経済拡大奢侈抑制図られるようになっていたが、鉄道省もそれに呼応する形で、1938年11月1日から、省電区間具体的に京浜線京阪神緩行線での2等車連結廃止した。この時点ではクロハ5969の両形式3等代用として使用されていたが、1940年からクロハ59形3扉化改造クハ68形編入)を実施することになったまた、この時期変わった話題としては、当時阪和電鉄車両不足を補うために鉄道省電車貸し出し申請東京鉄道局からモハ34-クハ382両編成借りたのはいいが、阪和自慢モヨ100モタ300等に比べるあまりにもお粗末内装に、乗客だけでなく会社側からも不満の声が上がり慌ててこの2両編成吹田駅 - 神崎駅間の小運転に投入するとともに阪和にはモハ43-クハ58(またはクロハ59)の2両編成貸し出すこととなった。この貸し出し阪和南海合併され、後に国有化されるまで続くこととなる。 その後日本太平洋戦争突入1942年11月14日には急電廃止し、これらの車両緩行用に投入した[要出典]。しかしながらモハ52流線型乗務員用のドアがなかったため、混雑の中で交替手間かかって乗務員嫌われてしまい、編成中間付随車代用として組み込まれることとなる。また、このころ輸送力増強として城東西成線モハ60クハ55本線モハ51クハ68トレードして対応していたが、ついにはこのような小手先の対応ではどちらの需要まかなうことができなくなってしまった。そこで、42系を4扉化して城東西成線モハ40系台車振り替え城東西成線投入代わりにモハ40系モハ51として、ロングシートのまま京阪神緩行線投入する、という計画立てられた。 この改造乏し物資やりくりしながら積極的に実施され第1号モハ43028-クハ55106が1943年登場したその後多くモハ43クハ584扉化改造されることとなり、形式モハ64クハ85改められた。そして、あのクハ58025も4扉化改造されてしまい、クハ85025を経て最後クハ79055となった。これらの改造並行して既存車両座席撤去ロングシート化推進され1942年横須賀線用の2等車として転出したクロハ69001, 002を除くクロハ69クハ68全車クハ55編入された[要出典]。 これらの非常措置併せて1943 - 1944年にはモハ60増備1944年1月には6両化を実施して輸送力強化図り直後1944年4月1日には明石電車区南側にあった川崎航空機明石工場への通勤客の輸送手段確保するため、明石電車区構内西明石駅設置定期券所持者のみの客扱い開始した。この西明石駅延長京阪神緩行線基本運転区間確定した[独自研究?]。

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戦時体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 08:40 UTC 版)

湘南電気鉄道デ1形電車」の記事における「戦時体制」の解説

1941年京浜電鉄湘南電鉄湘南半島自動車併合し新体制拡大京浜電鉄誕生し同年内に子会社京浜地下鉄道東京地下鉄道東京高速鉄道合併し帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)が誕生1942年五島慶太率い東京横浜電鉄京浜電鉄小田急電鉄旧・帝都電を含む)を併合し東京急行電鉄いわゆる大東急」が誕生京浜電鉄東急品川営業所所管となる。 合併に伴う形式番号整理変更により、形態性能近似する湘南デ1形・デ26形京浜デ71形・デ83形デハ5230形に統合された。これに対し京浜デ101形は600V区間専用車3扉であるためデハ5170形デハ5171 - デハ5178とされた。 デハ5230形各車の新造時形式・記号番号との対応は以下の通り湘南電気鉄道デ1形デ1 - デ25デハ5231 - デハ5255 京浜電鉄デ71形71 - デ82デハ5256 - デハ5267 京浜電鉄83形83 - デ94デハ5268 - デハ5279 湘南電気鉄道デ26形26 -デ31デハ5280 - デハ5285 なお、1945年4月15日空襲デハ5170形8両全車とデハ5230形デハ5265・デハ5279・デハ5282の3両が焼失したが、1947年に)全車とも制御車クハ5350形クハ5351 - クハ5361として復旧した

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