戦時体制の強化と鉱山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「戦時体制の強化と鉱山」の解説
昭和戦前期、戦時体制が強化されていくにつれて、食糧増産の鍵となりその多くを輸入に頼っていたリン鉱石の増産が急務となっていく。対外関係が緊張の度を増す中、1937年以降、日本の燐鉱石輸入は減少をしていき、1941年の第二次世界大戦参戦後には激減する。しかし日本国内のリン鉱石産地は数少なく、北大東島にかけられる期待は大きかった。 北大東島のリン鉱山では1940年以降、リン酸の含有量が23パーセント前後の貧鉱も搬出されるようになった。同年の紀元二千六百年を記念して、大日本製糖は大阪の宿舎を北大東島に移築することにより、学校、講堂、社宅、社員クラブを整備した。社員クラブは紀元二千六百年にちなみ、弐六荘と名付けられる。1942年には北大東島でのリン鉱石採掘量は7万トンを超え、ピークに達した。 しかし戦況の悪化により海上輸送が困難となり、1943年の後半期以降になるとリン鉱山の運営は困難となっていく。
※この「戦時体制の強化と鉱山」の解説は、「北大東島のリン鉱山」の解説の一部です。
「戦時体制の強化と鉱山」を含む「北大東島のリン鉱山」の記事については、「北大東島のリン鉱山」の概要を参照ください。
- 戦時体制の強化と鉱山のページへのリンク