戦時体制の進行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 00:55 UTC 版)
「名古屋高等商業学校」の記事における「戦時体制の進行」の解説
渡邉校長が辞任した1935年頃から名高商では戦時色が色濃くなっていった。まず、1936年より帝国大学教授や帝国議会議員を講師に日本文化・皇室の意義・戦時経済などをテーマとした「日本文化講義」が開講されるようになった。生徒組織も戦時体制に即したものに再編され、1940年には学友会が解散し、代わって「報国団」が発足、さらに1941年8月には「学校報国隊」が発足し名高商は完全に戦時体制に取り込まれることになった。これと並行して生徒の戦時動員も進行し、1938年の勤労奉仕作業開始を経て、太平洋戦争開始後の1943年には修業年限が2年に短縮されるとともに臨時徴兵検査が校内で実施され、合格者は仮卒業証書を授与され軍人として戦地に赴いた。 1944年3月には戦時学制改革により名高商は「名古屋経済専門学校」(名経専)と改称するとともに、国家のための工業経営者の育成を標榜する「名古屋工業経営専門学校」が併設され、前者は従来の高商生が卒業するまでの受け入れ機関としてのみ存置を許され、漸次後者へと移行するものとされた。しかし戦局の悪化によってこのような体制すら長続きすることは困難となり、同年には三菱重工名古屋航空機製作所への勤労動員が開始され、ついで1945年3月には工経専の授業自体が停止となり、名経専・工経専は完全に学校としての機能を止めた。
※この「戦時体制の進行」の解説は、「名古屋高等商業学校」の解説の一部です。
「戦時体制の進行」を含む「名古屋高等商業学校」の記事については、「名古屋高等商業学校」の概要を参照ください。
- 戦時体制の進行のページへのリンク