戦時体制の強化と呉鳳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 07:27 UTC 版)
1936年(昭和11年)9月、予備役海軍大将の小林躋造が台湾総督に就任した。大正中期より台湾総督は文官が就任しており、久しぶりの武官総督である小林は就任早々、台湾人の皇民化、台湾産業の工業化、台湾を東南アジアなど南進の基地とする南進基地化という政策を打ち出した。うち台湾人の皇民化政策では、新聞雑誌の漢文欄の廃止、生活全般から台湾語を追放して日本語の使用を進めるなどといった政策とともに、台湾土着の寺廟整理が進められた。寺廟整理が政策として推進される中で、もとはと言えば台湾土着の信仰に源泉を持つ呉鳳を教科書で教えることは矛盾するものの、実際問題として寺廟整理とともに神社の建立も思うようには進んでおらず、台湾の公学校の教科書上では1940年(昭和15年)の教科書改訂時まで呉鳳は残された。これは1940年(昭和15年)の段階では、呉鳳が未開の台湾原住民を文明に導くという文明の観念を、台湾の漢族に教育する材料として有用であると判断されたためと考えられる。 一方、文部省編纂の教科書では呉鳳の記述は消え、台湾を舞台とした題材としては君が代少年という教材が採用されている。台湾の公学校でも昭和17年度(1942年度)以降の教科書では呉鳳の記述が消え、前述の君が代少年の他に、サヨンの鐘が新たに教材として採用されている。台湾の公学校の教科書で君が代少年、サヨンの鐘が教材として採用された背景としては、皇民化政策、愛国教育政策などの推進にふさわしい教材と判断されたためであると考えられる。一方、呉鳳の記述が削除されたのは、戦時体制が強化されていく中で、皇民化政策、愛国教育政策などに比べ、呉鳳の教材で期待された文明化、そして道徳を公学校で教える必要性が低下したためと見られる。
※この「戦時体制の強化と呉鳳」の解説は、「呉鳳」の解説の一部です。
「戦時体制の強化と呉鳳」を含む「呉鳳」の記事については、「呉鳳」の概要を参照ください。
- 戦時体制の強化と呉鳳のページへのリンク