戦時体制と1943年薬事法
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「薬事法の歴史」の記事における「戦時体制と1943年薬事法」の解説
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まったことを受け、翌1938年(昭和13年)には国家総動員法が制定され、戦時体制が確立されていった。生活必需品である医薬品についても物資統制の例外ではなく、その翌年である1939年(昭和14年)には価格統制が政令により実施され、つづけて1941年(昭和16年)には戦時統制を目的として日本医薬品生産統制株式会社および日本医薬品配給統制株式会社が設立され、製薬者はすべて前者に、薬種商はすべて後者に所属するものとされた。具体的には、厚生省(当時)の計画に沿って下記のとおり医薬品の流通を統制するものであった。 生産統制会社→(原材料)→製薬者→(医薬品)→生産統制会社→配給統制会社→薬種商→薬剤師→国民 両統制会社は同年9月1日より業務を開始することとなる。同年12月8日の真珠湾攻撃をきっかけとして戦争が激化していく中、このように医薬品にかかる戦時統制体制が確立されていく。 1943年(昭和18年)には「薬事衛生ノ適正ヲ期シ国民体力ノ向上ヲ図ル」ことを目的として薬事法(昭和18年3月12日法律第48号。旧々薬事法とも)が制定された。従来の医薬品に関する諸法令が同法にまとめられたほか、医薬品の製造業に許可制を導入するなど、不良医薬品の取り締まりおよび一層の品質適正化が図られた。 もっともこれによって統制以前には40万種あったとされる日本の薬品が6000種程度に統合されて、江戸時代以前からの処方なども含めて多数が廃絶し、残されたものも成分の変更などによって全く異質の薬品への変更を余儀なくされたものも存在したと言われている。
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