しそうはん‐ほごかんさつほう〔シサウハンホゴクワンサツハフ〕【思想犯保護観察法】
思想犯保護観察法
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思想犯保護観察法(しそうはんほごかんさつほう、昭和11年5月29日法律第29号)は、1936年(昭和11年)、思想犯を公権力の下に監視しておくために制定された日本の法律である。全14条から成る。治安維持法違反で逮捕されたが執行猶予がついた者や、起訴猶予になった者、仮釈放者、満期出獄者に対して適用された。
注
- ^ なお5月13日までは林頼三郎。
- ^ 当時の大阪弁護士会会長村野美雄は1908年の宮武外骨『滑稽新聞』発禁事件の担当裁判官であったが、居住地は大阪市北区若松町であった。
- ^ 「日本主義」という言葉は、私的なグループ用の文書ではあるが、外交官が作成したものにすら現れる[16]。1936年作成の『日本固有の外交指導原理綱領』が一例である[17]。この文書は革新外交官グループの1人である仁宮武夫の手によるもので、戸部良一の言によれば「とても外交官が書いたものとは思われない。くどいほどに「道義」と「良心」が強調され、抽象的な観念論に終始し、うんざりするほど空虚な言葉が羅列されている」[18]。「日本精神」という言葉を題名につけた本が1930年代に大量に発行されていたことは、現在でも容易に図書検索して確認できる。例えば、「日本精神」という言葉は、西田幾多郎の『日本文化の問題』(岩波新書、1940年)pp.89-90にも見られ、その他にも、国民精神総動員運動(精動)中央連盟や精動委員会幹事会の議論でも使われている[19]。
出典
- ^ a b c d e 中澤俊輔『治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』中公新書、2012年、157頁。ISBN 978-4-12-102171-7。
- ^ 『世界大百科事典 第2版』 日立ソリューションズ・クリエイト
- ^ 官報1936年12月23日
- ^ 帝国弁護士会会誌『正義』。
- ^ 官報1936年12月12日
- ^ 官報1937年01月18日
- ^ a b c d e 荻野富士夫『思想検事』岩波新書、2000年、88頁。ISBN 978-4-00-430689-4。
- ^ a b 荻野『思想検事』p.92.
- ^ a b 荻野『思想検事』p.89.
- ^ a b c 中澤『治安維持法』p.158.
- ^ 荻野『思想検事』p.90.
- ^ a b c d e 中澤『治安維持法』p.159.
- ^ 荻野『思想検事』p.90.
- ^ 中澤『治安維持法』p.160.
- ^ a b 中澤『治安維持法』pp.160-161.
- ^ 戸部良一『外務省革新派 世界新秩序の幻影』中公新書、2010年、84-86頁。ISBN 978-4-12-102059-8。
- ^ 戸部良一『革新派』p.76.
- ^ 戸部『革新派』p.77.
- ^ 井上寿一『理想だらけの戦時下日本』ちくま新書、2013年、205-206頁。ISBN 978-4-480-06711-1。
- ^ a b c 中澤『治安維持法』p.161.
- ^ a b 荻野『思想検事』p.96.
- ^ 荻野『思想検事』pp.93, 147.
- ^ a b 荻野『思想検事』p.91.
- ^ 中澤『治安維持法』pp.191-192.
- ^ 中澤『治安維持法』p.192.
- ^ 荻野『思想検事』p.148.
- ^ 転向者指導が狙う『東京日日新聞』昭和11年5月28日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p237 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c 荻野『思想検事』p.92.
- ^ 荻野『思想検事』p.93.
- ^ 荻野『思想検事』p.94.
- ^ 荻野『思想判事』pp.94-95.
- ^ 荻野『思想検事』pp.91-92.
- ^ a b 荻野『思想検事』p.94.
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- 2 思想犯保護観察法の概要
- 3 転向政策
- 4 保護観察所
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