運用の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 23:54 UTC 版)
思想犯保護観察制度は、その名前にあるように「保護」と「観察」の2面を持った制度で、「保護」に相当する事業として、思想犯やその家族の就職あっせんや結婚の仲介、職業訓練、授産、就学援助、生活扶助など、「観察」は、保護司らによる出張観察や定期的な呼び出しである。 思想検事たちは、この制度が共産主義の弾圧一辺倒ではない日本独自の制度だと誇った。例えば、東京保護観察所長の平田勲は「保護観察法は全く母法なく、日本独自の愛の精神に立脚した真に日本的な法律」だと自画自賛しているが、運用はこの言葉からはかけ離れたものに変質していった。 東京保護観察所では施行当初は「保護」重視の姿勢を示していた。しかし、支那事変以降は「保護」よりも「観察」が主体になっていき、1940年頃になると、「観察」の重要視は決定的になった。1936年の第69帝国議会で加藤勘十は、法案は「保護観察」とうたっているが運用は「監視取締」に主眼が置かれるだろう、と警告していたが、実際にその通りになった。
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