散髪脱刀令
散髪脱刀令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 08:56 UTC 版)
明治4年8月9日(1871年9月23日)に散髪脱刀令(いわゆる断髪令)が太政官布告され、さらに明治6年(1873年)、明治天皇の断髪に至ると、伝統的な男髷を結う男性が激減し、洋髪やざんぎり頭が流行した。 山川菊栄は著書『武家の女性』で母方の祖父に当たる青山延寿が維新前には髷結いにとても苦労していたが、維新後、毎日の髷結いから解放されたエピソードを取り上げている。 一方、丁髷に対する愛着や誇りから散髪に消極的な者もいた。それでもなお保守的な男髷姿を選ぶ人を(半ば揶揄して)「丁髷頭」と呼ぶようになった。
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