国郡制定後の沿革
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1869年8月15日(明治2年7月8日) 根室国5郡が制定され、25村が属した。また、1870年7月から明治4年(1871年)8月ころにかけて東京府(1870年7月10日(明治3年6月12日)~同年12月1日(旧暦閏10月9日)花咲郡・根室郡・野付郡を領有)、寺院や士族などによって分領支配が行われる。 1871年(明治4年)5月根室出張開拓支庁が置かれる(翌年9月「根室支庁」に改称) 1881年(明治14年) 釧路国厚岸郡から昆布森村(こんぶもり)と落石村(おちいし)を移管され花咲郡に編入 1882年(明治15年)2月8日、廃使置県にともない根室県の所管となる。 1886年(明治19年)1月6日 根室県根室国花咲郡の一部であった色丹島を、新たに色丹郡として千島国へ編入
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国郡制定後の沿革
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明治2年(1869年)開拓使直轄領となる。 旧暦8月15日(9月20日) 北海道11国が置かれた際、千島国5郡が制定される。また、同年7月から道外の複数の藩によって分領支配が行われる。 10月 廃止を検討されていた場所請負制が漁場持(ぎょばもち)と名称を変更。 明治4年(1871年)旧暦7月14日(8月29日)、廃藩置県。 旧暦8月20日(10月4日)、北海道の分領支配の廃止。全域が開拓使の管轄となる。 明治5年(1872年)壬申戸籍編製。旧百姓身分だったアイヌは平民となった。 旧暦4月9日(5月15日)、全国一律に戸長・副戸長を設置。 8月9日(9月23日)、散髪脱刀令公布。文明開化の一環。 旧暦10月10日(11月10日)、大区小区制施行。 旧暦12月2日(1872年12月31日)、天保暦からグレゴリオ暦に改暦。 明治8年(1875年)2月13日、平民苗字必称義務令公布。文明開化の一環。 11月28日 樺太・千島交換条約により日本領となったクリル諸島(千島列島)が、暫定的に「開拓使管下クリル列島」となる。。 明治9年(1876年)1月14日 クリル諸島(千島列島)に得撫郡・新知郡・占守郡の3郡を新設、千島国に編入する。 9月 漁場持の廃止。 明治11年(1878年)から明治13年(1880年)にかけ、栖原家が得撫島で漁場14 か所を開いた。 明治12年(1879年)7月23日、郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行。 明治15年(1882年)2月8日 廃使置県にともない根室県の所管となる。 明治17年(1884年) 困難な生活物資の補給と国防上の問題から、根室県の役人の説得を受けた占守島の全住民(千島アイヌ)が色丹島に移住した(『千島巡航日記』)。 明治18年(1885年)1月6日 根室国花咲郡の一部(色丹島)を、色丹郡として編入する。 明治30-42年(1898年-1909年)夏季のみ、千島アイヌが占守郡に帰郷し、出稼ぎ漁業を実施。 明治31年(1898年)1月、千島国で徴兵制度が施行された。以降の出来事については北海道庁 (1886-1947)および根室振興局(旧:根室支庁)の項を参照。
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