布告の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 21:56 UTC 版)
幕末に洋式軍制の導入が始まって以後、髷(まげ)を結わずに散髪する風潮が広まりつつあったが、この日「散髪脱刀勝手たるべし」として髪型については自由にし、華族・士族が刀を差さなくても構わないとした(平民の帯刀については同年12月27日(1871年2月16日)に改めて禁止令が出されている)。なお、例外規定として「官吏等礼服の時は帯刀すべし」とされている。つまり、髷を結い、刀を帯びることがそれまでの礼装だったのである。これを受けて明治6年(1873年)3月には明治天皇も散髪を行い、官吏を中心にこれに従う者が増えていった。
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